Fate/gold knight 17.むらさきのだんぜつ
 午前中の授業は何事もなく、大変平和のうちに終了した。
 この場合の『何事も』とは、慎二も含めた敵対勢力からの目に見える襲撃を受けなかった、という意味だ。というより慎二はHRの始まる1、2分前になってやっと教室に姿を見せ、そのまましれっとした顔で自分の席に着いたから、会話のひとつも交わしちゃいない。
 かといって、本当に何事も無かったわけじゃない。授業前、いつものように一成に付き合って校内を移動しているときに、遠坂と共に潰しておいた結界の基点を確認していてそれは分かった。
 そいつらは、僅かながら再生が始まっていた。今の状態では完全に消し去ることができないから、まずくなりそうだと思った時点で再び弄ることになる。できればその前に術者……推定ライダーを倒してしまいたいのだけど。そうでなければ再生破壊再生破壊の繰り返しで手間取るだけだし。


 そうして、今は昼休み。
 今日もまた、冬故に人のいない屋上で遠坂と一緒に昼食を取っている。……目の前にいる赤い誰かさんが淹れてくれた日本茶の美味しいこと。この野郎、妙なところまで準備万端だな。ええい自慢げに俺をニヤニヤ見つめるな、気持ち悪い。こいつが俺の前世だなんて信じないからな。

「……それじゃ、やっぱり元から断たなきゃだめか。分かってたんだけどねえ」

 昼食後の日本茶を一口飲んだ遠坂が、屋上の基点に視線を投げたあと大きく溜息をついた。アーチャーに指摘され俺が見つけたそれも、ゆっくりとだけど力を取り戻しつつあるのがここからでもよく分かる。……遠坂はそばまで寄らないと分からない、らしい。妙なところで遠坂に勝ってるなあ、俺。

「それで士郎、慎二にはちゃんと断り入れた?」

 周囲に他人がいないせいで呼び方が『士郎』になってるのは置いておこう。どうせ誰かに見られた瞬間に『衛宮くん』に切り替わるんだろうしな。器用だなあ。

「いや、まだだ。あいつ今朝遅かったし」

 嘘をつく理由など1つもないので、素直に答える。さすがに教室でこんな話をするわけにもいかないし、かといってどこかに呼び出し……などということも短い時間では無茶だろう。きちんと話をするとしたら昼休み……はこうやって遠坂とお昼なので、残るは放課後ということになる。……まあ、朝とか昼休みとかに話したら、その後の授業が微妙にやりにくいというか何というか。遠坂と違って俺は慎二と同じクラスなんだからな。

「ふーん。桜と生活パターン違うのね」
「同じ部活なのにな。慎二は朝練なんてほとんど出ないから」

 呆れた声を上げる遠坂に、思わず深く頷いてしまった。俺はあまり長いこと在籍してはいなかったけれど、部員だった間はそれなりにきちんと練習に参加していた。桜もそうだ、うちからきちんと朝練に出ている。まあ、双方顧問教師と一緒に朝食を取っているから変にさぼれないからな。
 けれど、正直言うと俺が弓道部にいたその間……慎二が朝練に来たことなんて一度もなかったような気がする。放課後の練習だって大して参加しちゃいなかったけれど。それで副主将っていうのは多分、2年になってから自分が引き込んだ女子部員の人気によるところが大きいはずだ。ちなみに美綴の主将着任も同じらしいというか、美綴は男女双方にかなり人気が高いし。

「形だけ繕って、女の目を引きたいのであろうよ。あれはそういう男だ」

 ってアーチャー、自分も茶を飲みながらそういうこと言うか。つーか、慎二のことよく分かってんじゃねーか、あまり会ったことないだろうに。

「そうでしょうねー。何、今日のお昼も下級生の女の子に囲まれてお弁当、だったり?」
「多分。教室出てくるとき、黄色い声でやかましかったから」

 2つの弁当箱を丁寧に片付けながらのやりとり。他人に聞かれたところで、これが敵情視察報告だとは誰も思うまい。……というか、当の『敵』である慎二だってこの異常な状況をちゃんと把握しているんだろうか。あいつ、公私混同してることよくあるからなあ。
 赤い方の弁当箱を膝に乗せて、遠坂はきっと俺を睨み付けた。彼女にしてみれば普通に見たのかもしれないが、俺には睨み付けられたように感じられた……恐らくは、まだ慎二に話をしていないことに対して少々怒りを感じていたのだろうな。しょうがないだろう、状況が状況なんだから。

「じゃあ、慎二に話をするのは放課後ね。士郎」
「おう」

 自分の弁当箱を手に持って、遠坂の問いに答える。その答えを待っていたかのように動いた遠坂の視線の先には、赤い外套を纏った男の姿があった。自分に視線が集中したのが分かったかのように、アーチャーは顔を上げる。

「何だ? 凛」
「アーチャー、士郎についていなさい。わたしも近くにいるから」

 手短な命令。その意図するところを察したのか、奴は軽く頷いてみせる。

「了解した。しかし、万が一戦闘にでもなったらどうする気だ?」
「それは大丈夫よ。あんた、士郎のサーヴァントだって思われてるんでしょ」

 そう。
 遠坂の言うとおり、慎二はアーチャーを『衛宮士郎のサーヴァントであるセイバー』だと思い込んでいる。正確に言うとアーチャーと俺の2人でそう誤認させたわけだが……いやまあ、二刀流な野郎が実は弓兵ですーなんて言ったところで信じてもらえなさそうだけどな。そして、本当の剣の騎士はうちのエンゲル係数を一挙に引き上げてくれたお嬢さんだってことも。

「それなら、その場にわたしが顔を出せばいい。そうすれば慎二は、アーチャーとは別にわたしのサーヴァントが潜んでると思うはずだわ。ライダーがそうじゃないことを知らせたら別でしょうけど」

 そうして、遠坂の指摘に俺たちはなるほど、と同時に頷いた。そりゃそうだ、アーチャーのことを遠坂のサーヴァントだと分からなかった以上、慎二は『遠坂凛のサーヴァント』を知らない。知らない相手がどこにいるのか、多分あいつには確認するすべがない。あるとしたらそれは、あいつが従えているライダーだけ……だけど。

「それはなさそうだな。どうしてか分からないけど、ライダーは慎二とあまり仲良くないような気がする」
「同感だ」

 これまた、俺とアーチャーは同じ考えだったらしい。それこそ慎二とライダーよりもよほど仲が悪いだろう俺たちが頷き合うのに、遠坂は目を丸くしている。何だよ、そんなにおかしいか?

「そう? ならいいんだけど。ほんとにあんたたち、気が合うわね」
『合わない!』

 ……寸分の狂いもなく同じ台詞、同じ口調、同じタイミング。案外遠坂の言うとおり、気は合うのかもしれない。ただあまりに思考が似すぎていて、同族嫌悪みたいになっているだけなのかも。
 それはそれで、何だか気分が悪いのだけれど。


 午後の授業も、それなりに普通に終わった。慎二はちゃんと自分の席で授業を受けていて、時々俺の方をちらちら見ていたのが分かった。いや、ちらちらというよりはちくちくという感じかな。つまるところ、俺が態度をはっきりさせていないので苛ついていたんだろう。悪い、やはり早めにちゃんと言っておくべきだったか
 それはともかく、本来ならば下級生の女の子たちを侍らせてさっさと下校する慎二がここまで教室に残っているということは、こっちの答えをさっさと聞きたいということだろう。期待には応えないとな……多分、慎二の想定している答えとは違う返事だけど。

「慎二。話がある」

 決心して、友人の名前を呼ぶ。それを待ち焦がれていたかのように振り返り、慎二はいつもの自信に満ちた笑みを浮かべた。その自信には、どことなく根拠がないように俺には思えた。

「んー? 何だい、衛宮」
「昨日の返事。ちゃんとしておこうと思ってな」

 ちらりと周囲に視線を走らせながら、話題を振った。こちらとしては魔術の話を誰かに聞かれるわけにもいかないし……慎二から見れば、もしかしてそばにいるはずのサーヴァントと心話を交わしているようにも見えるだろう。まあ、芝居といえば芝居だ。

「……ああ、そっか。僕、お前に同盟申し入れてたんだよなあ。あはは、すっかり忘れてたよ」

 しばらく考えてから思い出した、というポーズで笑う慎二。嘘つけ、お前の目しっかり期待しているじゃねえか。
 あの自信はどこから来るのか、一度聞いてみたいもんだ。何しろ慎二は、俺が自分の味方になることを、まったく疑っていない。俺がそこにつけ込むような悪党だったらどうする気なんだろう。……まあ、その可能性が無いことを知っているからこそのあの態度、なんだろうが。

「で、返事はどうなんだい衛宮? まさかお前、断るなんてことないよなあ?」

 にやにやと笑みを浮かべる慎二の顔を、俺はしっかりと正面から見つめ返す。ん? と不思議そうな表情に切り替わった慎二に、俺はゆっくりと頷いた。

「そのまさかだ。悪いな慎二、同盟は見送らせてもらう」
「は? お前、何言ってんだ?」

 まあこちらの予想通り、慎二は意外だという顔をした。すまん、俺だってお前と戦わずにすむのならそれに越したことはないんだけどな。

「言っただろ、遠坂だって参加者なんだぞ。その遠坂に狙われたりしたら」
「悪いわねー。狙うも何も、こっちが先に同盟組んでるのよねぇ」

 がらり、と教室の扉が開け放たれる。そこで待ってたのかよ、遠坂。ものすごく不機嫌そうな顔をしているのは、自分に対する悪意をあからさまに感じているからだろうなあ。慎二は美綴や弓ねえとあまり仲が良くないのだけど、彼女や遠坂みたいな勝ち気な女の子とは相性が合わないんだろう。そうして、その鬱憤を気の弱い桜にぶつける……ああだめだだめだ、そんなことはさせられない。って、そういうことを考えている場合じゃないだろう、俺。
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