Fate/gold knight 18.しろいまぼろし
 ごくり、と息を飲む。その音すら、俺の耳には届かない。
 周囲は雑踏に充ち満ちている。夕方の、ごく普通の商店街の、その一角。
 ごく当たり前の、平凡な日常の1コマ。そのはずだ。

「ふふ、どうしたの? 死神にでも会ったような顔をして」

 その日常の中にくっきりと浮かび上がるは、本来ここにはいないであろう白い少女。
 イリヤスフィールという名前を持つ少女は、無邪気に微笑んで。

「大丈夫よ。太陽が出てる間は殺さないから」

 夕方の雑踏の中に、くっきりと浮かび上がるように佇んでいた。

 ざり、と立てられた足音が俺を現実へと引き戻した。アスファルトと靴の裏が擦れて発生した、主の体重のせいで少し軽い音。
 はっと顔を上げたとき、俺の目の前には金色の豪奢な髪がふわりと広がっていた。

「下がっておれ、士郎」
「弓ねえ……」

 高いけれど耳触りのいい声が響く。背は低いけれど俺よりはずっと力強く、俺にとって傍にいてくれているだけで心強い、金の姉。彼女が、俺とイリヤスフィールの間に仁王立ちしている。俺を、彼女から守るように。
 背中から浮かび上がる微かな殺気に、俺は足を踏み出すことができなかった。例えそれが、少女に対して向けられているのだとしても……俺にそれが一瞬でも向けられたならば、多分俺は、耐えきれないだろうから。

「何用だ、小娘。偽りの平和に溺れる敵を嘲笑いにでも来たか?」
「まあ、そんなところ。それと死の宣告、かしら」

 俺に背を向けている姉の顔は、こちらからは伺えない。だけど、彼女が今どんな表情を浮かべているかは、はっきりと分かった。
 だって、イリヤスフィールが苦々しげに顔を歪めているから。
 多分、弓ねえは、いつものように自信満々な表情を浮かべ、白い少女を鼻で笑っているのだろう。
 あの夜にそうしたように。


 2人が睨み合っていたのはどのくらいだっただろうか。1分もたっていないような気もするし、10分以上たっていたような気もする。けれどそのにらみ合いは、弓ねえが殺気を収めたことで終了した。

「ほほう、小娘ながら良い根性をしておる。もっとも、日が沈んだとて商店街の真ん中で刃傷沙汰を起こす気ではなかろうな?」
「ニンジョーザタ?」

 姉貴、いくら日本語が達者とはいえあのくらいの子が、あまりそういう言葉を知ってるわけないだろう。もう少し分かりやすく話してやれよ。

「ええと、よくわかんないけれど戦闘ならしないわよ。わたしたちの戦争は人知れず行われるものでしょ? それに、人を巻き込んだらわたしも気分はあまり良くないわ」

 あ、ニュアンスは感じ取ってくれたみたいだな。助かった。
 ならとりあえず、今ここで俺たちと彼女の戦闘が起きることはないわけだ。多分。姉貴とか、彼女の気配を察知したセイバーとか遠坂とかが飛びかかりでもしない限り。

「ふん、分かっておれば良い」

 姉貴は満足げに頷いて、金の髪を掻き上げた。一瞬鼻先をかすめた髪は何とも言えない良い香りがして、俺は一瞬目の前の光景を忘れた。ただ、その向こう側にかいま見えるイリヤの、こちらを鋭い槍のように貫いてくる視線に意識を引き戻される。

「……まあいずれにせよ、そなたに士郎の生命は取れぬ。我とセイバーがいる限り、な」
「よく言うわ。わたしのバーサーカーに手も足も出なかった癖に」
「は、2度はない。案ずるな、次は楽しませてくれようぞ」
「期待しないで待ってるわ」

 うう、周囲の人々はなんでこの殺気充満空間に気づかないんだろう? 2人の視線が空中で火花散らしてるよ。それとも、俺が敏感すぎるとかいうことかな……いや、それはないだろう。桜や2人の姉に鈍感だって良く言われてるからな。桜はともかく弓ねえや、ましてや藤ねえには言われたくないんだけどな。
 そんなことをぼんやりと考えていた俺の視界の中に、くるりと華麗に1回転するイリヤスフィールの姿が映った。それはまるで氷上を華麗に滑るフィギュアスケートの選手みたいで、刹那だけ緊張感が解けたような気がした。

「ほんとはね、シロウの顔を見に来ただけなの。戦いに来るとき以外はずっとお城にいるから退屈しちゃって」

 そうして、ぴたりとポーズを決めて止まった少女は、そんなことを言った。ぴくり、と姉貴の肩が震えるのが分かる。

「城?」

 ここは日本、冬木市。特に城下町というわけではなく、城跡といったものも存在しない、普通の街。
 だが、その単語には俺も、姉貴も、心当たりがあった。

「……外れの森にあるっていう城か?」

 外れの森の城。
 冬木市では、よく知られた言い伝えだ。都市伝説とでもいう類の噂、だろうか。
 市の外れにあるうっそうとした森の中に、城が存在するという。
 日本にあるには似つかわしくない石造りの、洋風の城だ。そういう姿をしているのだと、噂にはある。
 けれどその城にはなかなか近づくことができない。周囲の森に人を迷わせる魔法が掛かっており、たいていの者は森の中に入っていくつもりでいつの間にか外に追い出されるのだと。
 ごくまれに城にまでたどり着いた者も……存在するのだろうが、彼らが何を見たかは明かされていない。もしかしたら、魔法で記憶を奪われているのかも……という、噂だ。
 その噂が、事実だとするならば。

「噂は……真であったか」

 何となく、納得はできた。聖杯戦争の基地として存在する城ならば、一般の人間が接近しないように魔術を掛けていてもおかしくないものな。うちみたいな例外はともかくとして。

「ええ、そうよ。我がアインツベルンの城、来られるものなら来てみるといいわ」
「は、大方結界の2つ3つも張りつけた上その中でこわいようバーサーカー、などとみっともなくがたがた震えておるのであろうが。ええ、己では何1つ出来ぬ小娘が」

 ふふんと自慢げに小さな胸を張るイリヤスフィール。にいと悪戯っぽく細められたその紅い目は、弓ねえの鼻で笑う声にさっと見開かれた。いやー金の姉上、他人を怒らせる言動取らせたら世界一じゃなかろうか。

「なんですって……?」

 あー、口の端がぴくぴく震えてるぞ。姉上、向こうが戦闘しないって言ってるんだから挑発するのやめてくれないかな。ここで魔術戦とかやるわけにもいかないだろうが。ほんと勘弁してくれ、怖いけれど割り込みを掛けよう。

「ちょ、2人ともやめろって。こんなところで戦うわけにいかないんだろうが」
「む」
「むー」

 あのな、何で俺が睨まれなきゃならんのだ。俺は至極当然なことをしたまでだぞ。
 というか、両側から赤い瞳で睨み付けられるのは結構怖いな。2人とも、目の色だけは同じなんだから。ともかく、俺は間違ったことを言ってるわけじゃないんだから、そんな睨まれても引かないぞ?

「──まあ、士郎の言うとおりであるの。かような所で問題を起こすわけにもいくまい」
「それもそうね。シロウの言うとおり、ここは引いてあげる」

 もう少し時間かかるかな、と思ったけれど、2人はあっさりと引いてくれた。
 正直、これ以上事態が長引いたら俺では収拾がつかなくなる。だけどこの状況で遠坂やセイバーやアーチャーをここに呼んだらそれこそ大事になるからな……いや、本当に良かった。

「ありがとう。ええと、イリヤスフィールだっけ」

 名乗られた名前で呼ぶと、彼女はほんわりと微笑んだ。それこそ、生命を奪い合う敵である相手に見せるとは思えない、無邪気な少女の笑顔。

「うんっ」

 何がそんなに嬉しいのか、にこにこ笑いながら彼女は俺をじっと見つめた。さっきまでのような剣呑な視線ではなく、本当に仲の良い友人に向ける視線だ。……いや、きょうだいに、かな?

「長い名前だから、お兄ちゃんはイリヤって呼んでくれていいわ。ユミは駄目」

 イリヤスフィール……いや、今許可を得たわけだからイリヤと呼ぼう。彼女の俺に向ける顔と弓ねえに向ける顔のまあ違うこと。女の子ってそこまで表情を変化させることができるのか。

「露骨に差別しとるのう……まあ良い」

 姉上もそのことに気づいているようで、小さく溜息をついて軽く頭を振った。さら、と流れる金髪が、夕日に溶け込むように赤く染まる。ああ、もう日は地平線の下に消えていこうとしている。

「そら、冬は日の沈みが早い。護り手のおらぬ小娘はとっとと城に戻れ」

 くすりと肩を揺らし、弓ねえはしっしっと犬でも追い払うかのように右手を振る。一瞬イリヤはまたむっとしたけれど、すぐにその表情は意地悪な笑みへと変わった。
PREV BACK NEXT