Fate/gold knight 20.くろのわな


 白い背中が厚い扉の向こうに消えると、何となくだけど室内の空気が軽くなったような気がした。そこでやっと俺は、はぁと大きく息をつくことができた。緊張しすぎて、うまく呼吸ができてなかったのかもしれないな。
 それにしても。

「……許さないって言われてもな……」

 イリヤが最後に残した言葉を口の中で反芻しつつ、俺は腕を固めている縄を外しにかかった。例えイリヤが許してくれなくったって、俺はここを出て家に帰らなきゃならない。衛宮の家にはきっと、待ってくれている人がいるんだから。

「……がっちり固めてくれてるなあ、ったく」

 焦っても縄が外れるわけではないから、まずは解析を試みる。……あー、大体の構造と外すためのポイントは分かった。ってーか、もし金属製の手錠とかで固められてたら逃げられなかったよなあ。変に甘く見られてるのかな?

「投影開始……っと」

 そんなことを考えてる暇がないだろうと思い直して手の中にナイフを投影する。手首から先はどうにか動かせるのだけれど、解析で見つけたポイントに刃を当てるのはさすがに後ろ手ってこともあって少し怖い。

「む、よ、は……いてっ」

 きしきしきし、と何度か刃を往復させているとぷつりと感触がした。同時に、ぴしりと肌を切る感覚も。あーやっちまった、と考えるより先に俺は手を動かして、無理矢理に縄をはぎ取った。瞬間、切れた個所を縄で擦ったらしく痛みが走る。

「あだっ!」

 ばらりと解けた縄を腕を大きく振るって払い落とし、痛んだ場所に目を落とした。手首の、太い血管からは少し離れた場所。じんわりとにじんだ血が、ぽとりと床を覆う絨毯の上に落ちる。
 ああ、弁償なんてことになったら洒落にならないな。いや、そうじゃないだろう、衛宮士郎。

「……あー、ほんとに治りやがった」

 見ている前で、傷はゆっくりとその姿を消した。元々大したことのない怪我だけど、こうやって治るのを目の当たりにするとあまり気分の良いもんじゃないなあ。とりあえず、残った血を拭き取ろうとして室内をくるりと見渡し、その調度に俺は絶句した。

「……」

 いやー、度が過ぎるほどの金持ちってすごいな。姉貴と趣味の方向性は微妙に違うんだけど、それでもこの子ども部屋に存在する全ての調度品がとんでもなく高価なものばかりであることくらいは俺にだって分かる。それでいて全てが調和して落ち着いた雰囲気を醸し出していて。

「……でもやっぱ、どこか子どもっぽいんだよなあ」

 ま、ベッドの上に転がっている大きなぬいぐるみなんかから察する限りここはイリヤの部屋だ。子どもっぽくたっておかしくはないんだよな。
 イリヤはこの部屋で、1人で眠っているんだろうか。いや、きっとメイドさんとかいるんだろうけどさ。それでもやはり、何だか寂しいのかもしれない。
 かといってあのバーサーカーが添い寝してやる図、なんてのは大変に勘弁して欲しいけどなー。

「……ん?」

 一瞬、部屋の外から誰かの気配がしたような気がした。イリヤが戻ってきたんじゃない、というのだけは何となく確信できる。だってほら、扉の外で何だか戸惑っているじゃないか。

「ここで良いのだな?」
「ええ、間違いありません」

 って、この声はアーチャーとセイバーか。もしかして、助けに来てくれたのかな?
 慌てて向かおうと立ち上がったところで、ばたんと激しい音を立てて勢い良く扉が開いた。一番に飛び込んできたのは、豪奢な金の髪をなびかせた姉上。

「士郎! 無事かっ!」
「え、あ、うわっ!」

 もぎゅ。
 暗い、息苦しい、というのが最初の感想。その次にしばらく空白があって、それからやっと俺は自分の顔に何がぶつかっているのかを理解した。

「ゆ、ゆみねえ、た、たのむはなせっ、くるひい」
「む? おお、済まぬ。苦しかったか」

 俺の頭をがっちり捕まえていた腕をタップすると、素直に弓ねえは放してくれた。……俺だってそれなりに年齢相応の性欲は芽生えてるんだから、いくら姉でも胸を押し付けてくるのはどうかと思うぞ。というか、胸に埋もれて窒息死なんて嬉しくない。まったくもって嬉しくないと断言する。

「ユミ、我々は敵地に潜入しているのですからもう少し静かにしていただきたい!」
「いやもうバレてるんじゃない? 相手はアインツベルンだし」

 どうにか酸素を肺に取り込めたところで、セイバーが部屋に入ってきた。何だかおかんむりに見えるけど、なんでだろう。で、その更に後からやってきた遠坂は半ばあきらめ顔。まあ、俺もイリヤはもう気づいてるんだろうなと思ったけどな。
 気づいていて、何もしてこない訳がない。

「む……済まぬな。可愛い弟を案じておるとつい周囲に意識が向かぬ」

 一方、弓ねえはそんなことお構いなしにセイバーの顔を見て笑う。そうでなくても姉貴はあまり周囲に意識を向けないだろ、というツッコミを入れたくはあるが、そうしたら次は本気で三途の川のほとりに立ってそうだからやめた。

「いくら可愛い弟とはいえ男性の頭を、そ、そのはしたない胸に押し付けるなど何と破廉恥な。味方でなくば、速攻斬っているところです」
「我の胸を切り落としても、そなたの胸が膨らむわけではあるまいに」
「だからやめなさいよ、あんたたち。そう言った話は士郎の家に帰ってからにしてくれない?」

 口論がヒートアップしかけたところで、遠坂が強引に割り込んで話を止めてくれた。ありがとう遠坂、さすがに胸の話に俺が口を出したら後がややこしくなるからな。まあ、姉貴が大きいのがいいか小さいのがいいかとふて腐れるレベルなんだけど。……遠坂、自分に火の粉が飛んでくることを恐れたのかもしれないな。
 まあ、そういったしょうもない話題での口論も家ではしゃいでる分にはいいんだけど。今はぶっちゃけ敵陣中枢部だからして、さすがにやばいだろ。

「この大たわけが。無事なようだな」

 一瞬険悪になった空気を読まず最後に部屋に入ってきたのは、まあ想像通りアーチャーだった。セイバーや遠坂の背中を守っててくれたんだろうな。さすが、気が回るというか。
 ……確実に俺の前世じゃないな、うん。もしそうなら、俺ももう少ししっかりできているような気がする。

「ほんとに大たわけだな。ごめん、ありがとう」
「……む」

 だから、素直に謝って礼を言う。と、何だかこう、ものすごく複雑な顔をされた。……ああそうか、アーチャーだけを対象にしちゃ駄目だよな。みんな、来てくれたんだから。

「遠坂、セイバー、それに弓ねえも。迷惑掛けてごめん。それと、来てくれてありがとう」
「たわけ者。姉が弟を案ずるは当然のことぞ。だが、礼儀をわきまえておるのは姉として喜ばしいの」
「謝罪も礼も要りません。私はシロウのサーヴァント、主を守るために動くのは当然のことです」
「まったく、セイバーもお堅いこと。私はそのくらいの謝罪じゃ納得しないんだからね?」

 ……誰でもいい。素直にどういたしまして、と答えてくれないものか。これは贅沢な悩みなのか?
 いやまあ、全員悪気があってのことじゃないって分かってるんだけどな。ま、俺の回りで素直な答えを返してくれる相手って言えば藤ねえか桜、それに一成と美綴ってとこか。ああ、全員聖杯戦争には関わりのない連中ばかりだ。魔術師やサーヴァントって、基本的に性格曲がってるものなんだろうか。

「まあよい。そこなアーチャーもそなたを案じておったしの。とっとと帰るぞえ、士郎」
「む」

 そんな中では付き合いが長いせいか一番分かりやすい姉上が、話を切り替えてくれた。途端、アーチャーの眉間に深いしわが寄る。おいおい、あからさまに嫌がるなよな。

「誰が誰の心配をしているというのだ、弓美」
「そなたが、士郎の心配をだ。何、そなた己が何を考えているかも分からぬほどモウロクしておるのか?」

 にやにや笑う姉貴の顔は、俺をからかっているときと同じ顔だった。……ってことは、今目の前でふて腐れてるアーチャーの顔はからかわれているときの俺の顔、なんだろうなあ。

「と、とにかく、城を出よう。イリヤが何を仕掛けてくるか、分かったもんじゃない」

 気分を切り替えるためにも、俺はそう言って立ち上がる。アーチャー以外の全員が、不承不承だけど頷いてくれた。

 そのまま、何の妨害もなしに俺たちは玄関ホールまでやってきた。
 ……玄関、だよな? なんか、ここだけでうちの母屋くらいらくらくと入りそうなもんだけど。

「いや、さすがに母屋は入りきらないぞ。土蔵ならば余裕で入るのだが」
「人の心読んだような台詞を言うなよな、アーチャー」

 この辺りのやり取りが、アーチャー俺の前世疑惑の出所なんだろうなあ。変なところで思考が一致するし、料理の手順なんかもツーカーだし、弓ねえに弱いし、俺が前髪上げたらアーチャーに似てるし。

「出て行くとき専用の罠もなさそうだし、さっさと出ちゃいましょ」
「そうですね。シロウ、リン、私が先導します」

 遠坂とセイバーはお互いに顔を合わせて頷く。何だか、セイバーが遠坂のサーヴァントみたいだ。じゃあアーチャーが俺のサーヴァント? 御免被る。

「アーチャー、殿を頼むぞえ」
「分かっている。先に行きたまえ」

 ダブルアーチャーの方も、何だかんだで息が合っている。置いてきぼりな自分が、昔はそうでもなかったんだが今は少し寂しい。
 寂しいと思えるってことは、俺はこいつらと一緒にいる時間が楽しいってことなんだろうな。
 俺にも楽しいって感情、あったんだな……なんてことを考えてたら、突然目の前に弓ねえの顔がドアップで現れた。いい加減慣れたのか、あまり驚いてない自分がここにいる。こういう慣れもどうだろうとは思うけど。

「これ。何をぼうっとしておる? 士郎よ」
「え? あ、ごめん」

 あー、もうすぐ外とはいえまだ敵陣内でぼんやりしてたらしい。まったくこんな時に、俺はどうしようもないよな。だからイリヤに拉致られるんだ。しっかりしろ、衛宮士郎。

「まったく……そら、行くぞ」

 姉貴も説教している場合じゃないと分かってくれたのか、素直に身を翻す。その割に、しっかりと俺の手を引っ張ってるけど。彼女も早いところ、敵であるイリヤの懐からは出てしまいたいんだろう。
 既に扉は開かれていて、その外には暗い光景が広がっている。ああ、もう夜なのか。そりゃあ、商店街に行ったのが夕方だったからな。冬の日は落ちるのが早いっていうし。
 さあ、早くここを出よう。イリヤが怒るかも知れないけれど、それは仕方のないことだし──


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