Fate/gold knight 20.くろのわな
──お兄ちゃんはもうわたしのものだから、勝手にお城を出たりしたら許さないからね?
ずきん。
急に、目に見えない何かに胸を締め付けられた。ぎりぎりと全身が縛られて、息ができなくなる。俺はそのまま動けなくなって、その場にうずくまってしまった。
「が、ぐぁ……っ!?」
「士郎!? 如何したか!」
姉貴の声が耳に届く。けど、答えられない。答えようと吸い込んだ息が肺に入らない。
苦しくて胸を掻きむしりたくなる。そう思って胸元を押さえた手は、弓ねえの細い手でがっちりと掴まれた。
窒息って、こんなに苦しいんだな。だめだ、声が出ない。助けも、呼べない。
「まずい、早く外に……」
「違う、凛! 外に出すな!」
遠坂の指示を遮るように、アーチャーが怒鳴りつけた。そのまま俺はがっしりとした腕に捕まえられて、手を掴んでいる弓ねえごと扉から引き離される。そうして、床に倒れ込みかけた俺の身体は弓ねえの膝の上。おかげで、したたかに背中を打たなくて済んだ。
「……は、ぁ……」
気がついたら、少し息が楽になっていた。足りない酸素を必死に吸い込むと、まだ胸は痛む。あー、酸欠でくらくらするのも相まって立てないや。
「士郎、大丈夫か?」
「なん、とか……急に、息、つまって……」
姉貴はやっとのことで俺の手を離してくれた。その代わり、反対側の手で頭を撫でてくる。どうも、これやられると照れくさくなるんだよな……姉貴が俺のことを心配してくれてるのは分かるんだけど。でも、苦しいのが少し紛れるような気がしたから、いいかな。
と、がつんと床を蹴る音がした。音の主であるところの赤い衣装のサーヴァントは、俺をちらりと見下ろすと腕を組んだ。……あれ、何か怒ってる? 俺に?
「ここを出ようと扉に向かったところで苦しみだし、扉から離れたら楽になった。ふん、下らん真似を」
「どういうことですか? アーチャー」
セイバーの問いに、アーチャーはふんと鼻を鳴らした。何だろう、あいつが怒っているのは俺じゃないのか。
「『衛宮士郎が城の外に出る』ことが許されていないようだ。場所ではなく、こいつに呪がかかっている」
「ギアスか。……相手も魔術師だったわね。抜かった」
遠坂の言葉に、俺はああそうか、と納得が行った。
イリヤが俺を軽くしか拘束しなかった理由。
セイバーや弓ねえたちが自分の砦に侵入してきたのに、迎撃しなかった理由。
ギアス……つまり、俺に呪いをかけることでイリヤは俺を魔術的に拘束していたわけか。
あの扉から一歩でも外に出れば、俺の心臓はその場でぴたりと止まっていたんだろうな。
「なーんだ。引っかからなかったんだ。つまんないの」
イリヤのそんなつまらなそうな台詞が、俺の推測を間接的に肯定していた。まあ、そろそろ来るとは思ってたけどさ。
「悪い子ね、シロウ。言いつけを聞かないからこうなるのよ」
奥の廊下から、いつの間にか彼女は姿を現していた。ぱっと見た限りでは1人しかいないけれど、彼女の背後からは隠しきれない存在感が溢れ出ている。そこにはきっと、彼女の従者が控えているんだ。
「黙れ。きったないことやらかしてくれるじゃない? イリヤスフィール」
「ふふん。シロウにも言ったけど、もうすぐあなたたちは消えて無くなっちゃうんだから。その前にシロウを保護してあげただけの話よ? 感謝して欲しいくらいだわ。シロウを連れて出たいなら、交換条件が無いわけじゃない。これでもわたし、優しいんだよ?」
彼女はそう言って無邪気に笑う。だけど、彼女の言う『優しさ』は俺たちの考える優しさとは次元が違う。方向性が違う。
「サーヴァントの生命をひとつ、ここで消しなさい。それでシロウは解放される」
だからこそ、彼女はそんなことをあっさりと言ってのけるんだ。
俺か、セイバーか、アーチャーか、──弓ねえか。
この場合選択肢として除外されている遠坂だけど、彼女は聖杯戦争に参加している魔術師の1人でアーチャーのマスターだ。イリヤにしてみれば、『邪魔だからコロス』対象だろう。
要するにイリヤは、この場で誰か死ねと言ってる。そこに、全員が生き延びるという選択肢はない。
「だって、最終的にわたしのバーサーカーが勝つことは決まってるんだもの。それなら、過程を楽しんだっていいじゃない?」
だって彼女は、最終的にバーサーカーを除いたサーヴァントを全て倒す……殺すと言っているんだから。その過程で邪魔になるのであれば、例えそれがサーヴァントを失ったマスターであったとしても容赦はしない、とあの赤い瞳は主張している。
「何じゃ。簡単なことではないか」
一瞬だけしんと静まりかえった空間に響いたのは、弓ねえの声だった。どこかつまらなそうに顔をしかめ、腕を組みながらイリヤを見つめて……いや、睨み付けている。それでも、俺の頭を撫でる手が止まらないってのはある意味すごいと思った。そのおかげで、俺は安心していられるから。
「小娘。要するに誰でも良い、サーヴァントが1人くたばれば良いのであろう?」
彼女の言葉には、嘲笑の響きがこもっている。それに気づいたのか、イリヤがぎりと歯を噛みしめた。握りしめた拳から、血の色が消えている。対照的にその幼い顔は、多分怒りのせいで赤く染まっていた。
「そこなウドの大木を屠れば良い。そやつもサーヴァントなのだからな」
くい、と姉貴が顎で示したその先に、空気からにじみ出るように巨体が出現した。白い少女の背後に佇むのは彼女のサーヴァント──バーサーカー。
言われてみれば、『サーヴァント1人』の条件にはあれも当てはまる。まさかイリヤ、バーサーカーだけは例外とかそんな細かい条件付けたりしてないよな?
「確かにユミの言うとおりだけど。でも、わたしのバーサーカーを殺すより例えばあなたが死ぬ方がずっと楽で早いわよ?」
ありがたいことに、そこまでイリヤは考えてなかったみたいだな。だけど確かに彼女の言うように、バーサーカーを倒すのは骨が折れる。と言うか、俺は本気で死にかけた。
「はん。こっちの誰か1人が消えて城から出られても、どうせバーサーカーで追いかけてくるんでしょ」
だけど遠坂は、弓ねえの言葉に乗ることにしたらしい。指の間にずらり、と宝石が並んでいるのがちらりと見えた。ああ、魔力がたっぷり詰まっているな。あれが遠坂の武器、か。
「ならば、いっそここで決着をつける……か。いずれ戦わねばならん相手だ、ここでやるのも悪くはない」
「なるほど。敵サーヴァントが一騎減り、我がマスターは解放される。大変魅力的な提案です、ユミ」
アーチャーの両手に干将莫耶が現れた。セイバーも見えない剣を握りしめる。2人とも完全に臨戦態勢だ。
本気で、この場で、バーサーカーを倒すつもりだ。俺が馬鹿だったせいで、十分な準備もできないままに。
「ふんだ。この前だって、このメンバーでかかってきて敵わなかったじゃない」
そうして、抵抗を決めた遠坂たちを前にしてイリヤは、本当に子どもっぽくふて腐れてみせた。自分のわがままが通らなかったからと言って頬を膨らませるのは、確実に彼女の内面が子どものままだから。外見だって子どもだけどさ。
「せっかくここから出してあげようと思ったけど、やーめた! あなたたちには全員、ここで死んでもらう」
細い腕をぶんと振り、イリヤは数歩後ろに下がった。彼女と入れ替わりに一歩、たった一歩だけバーサーカーが踏み出してくる。それだけで、ホールの空気がぞくりと冷えた。
絶対的な死の気配が、室内が凍り付きそうなほどにその温度を下げたのだ。
「やれるものならやってみせよ。その前に、我らがそのデカブツを屠る」
そんな中で、弓ねえだけはいつものように偉そうな口調を通す。白い手と赤い目はイリヤと良く似てるのに、弓ねえのそれはとても暖かい。見慣れているからなのか、弓ねえだからなのか。
「士郎、案ずるな。姉がそなたを守り通してみせよう」
「……弓ねえ、俺も……」
だけど、俺だけが見ているわけにはいかない。だから、無理矢理に身体を起こそうとしたのだけれど……その身体をあっさりと、姉貴は細腕で押さえ込んだ。この辺、さすがはサーヴァントって言うべきか。
「未だ本調子ではあるまい? そなたはここで、我らの勝利の見届け人となれ。良いな」
そうして、俺には笑顔を見せながら姉はそんな言葉を口にした。そうして、ひょいと俺の身体を抱え上げると壁際まで運んでいく。本気で姉貴は、俺に戦わせないつもりかよ。
ごめん。本当に、ごめん。
「あら、そんな不可能なこと言い切っちゃっていいの? シロウはあなたたちの最期を看取ることになっちゃうのよ」
イリヤにあんなこと言われるのは、俺がどうしようもない役立たずだからなのに。
「はっ、小娘が」
それなのに弓ねえは、もう一度俺の頭を撫でてくれた。そうして俺を置いて立ち上がった姉上の豊かな金の髪を掻き上げる仕草は優雅で、それなのに力強く見える。
「そなたは何も分かっておらんようだな」
俺の方から、弓ねえの顔は見えなくなった。だけど多分、自信に満ちた笑顔なんだろう。その気迫に圧されたかのように、イリヤが一歩退いた。
セイバーを右手側に、アーチャーを左手側に、そして遠坂を己の背後に従えて、弓ねえは名乗りを上げる。まるで、世界に君臨する王のように。
「我は衛宮弓美。衛宮切嗣の娘にして衛宮士郎の姉、そして先の戦にて召喚されたアーチャーのサーヴァント。共に肩を並べるはセイバーと此度のアーチャーのサーヴァント、そして冬木の管理者たる赤の魔術師ぞ」
姉貴が軽く腕を振ると、その手の中にグラムが出現する。
あれは、どこか異空間にしまわれていたものが弓ねえの呼びかけに応じて姿を現したものだ。俺は半ば第三者的な立場からその光景を見ることで、それをやっと理解できた。
どこかに武器庫……いや、宝物庫のような異空間を、姉貴は持っているんだろう。きっとそれが、弓ねえの英霊としての能力なんだ。
そう言えば弓ねえ、コレクション癖があるんだよな。変に何かのカテゴリにこだわって、金に任せて集めまくるんだ。
それがもし、彼女が本来持っているはずの能力に起因するものであったなら。
英霊になった……いや、なる前から金の姉が集めていたものは──きっと、宝具。
「そなたらごときに負ける要素など、微塵もないわ」
凛とした声が、広いホールに響く。
サーヴァントだったときの姉貴の姿なんて知らないはずなのに、俺には真紅のマントを翻した姉貴の姿が見えたような気がした。
PREV BACK NEXT