Fate/gold knight interlude-4 双条の絆
「はぁあっ!」

 見えない剣が、勢い良く振り下ろされる。だが、セイバーの渾身の一撃は、黒い両腕によってやすやすと受け止められた。敵にかすり傷も付けられないと見るや、即座にセイバーはその腕を足場に飛び離れる。着地した瞬間再び不可視の剣を構え、彼女はきりと歯を噛み締めた。

「甘いわね。単純に斬れると思ってるの?」

 バーサーカーの背後で、平然とイリヤが笑う。赤い視線をちらりと士郎に向け、無邪気に笑いながら少女は、残酷な言葉をあっけらかんと言ってのけた。

「お兄ちゃん、待っててね。すぐにこいつら、コロシちゃうから」
「……いり、や……」

 心臓の疼きは収まったようだが、それでも士郎自身の意識はどこかぼやけていた。ほとんど反応のない相手に一瞬だけつまらなそうな顔をして、白の少女は声高らかに命じる。

「さあ、行きなさいバーサーカー! あのサーヴァントたちを打ち倒して、お兄ちゃんにお前の力を見せつけてあげるのよ!」
「■■■■■■■──!」

 主の命を受け、黒の狂戦士は吠えた。手に携えた黒光りする刃を一度ぶんと振り、重々しく踏み出す。その威圧感に、さすがのセイバーも後ずさりしかけた。アーチャーは顔をしかめ、ちっと舌を打つ。
 だが、金の姉は僅かに冷や汗をかくに留まった。その口元が、ほんの少しほころぶ。

「そうじゃな。力馬鹿にはそれを上回る力を見せつけてやらねばなるまいの」

 にいと肉食獣の笑みを浮かべた弓美の手に、ふわりと布が掛かる。銀の剣はその中に消え、代わりに少女の華奢な手を重厚な籠手が覆った。この場に存在する者の中で、赤の弓兵のみがそれに見覚えがある。

「なれば、見せてくれようぞ」

 ばさり、と布が一度はためくと、その中から短い柄を持つ大型のハンマーが出現した。柳洞寺で竜牙兵と戦ったときに使われた、同じものである。極度にアンバランスなそのシルエットに、凛は顔をしかめた。

「うわ、何あれ? 強そうだけどバランス悪ぅ」
「ミョルニルだ。布はメギンギョルズ、籠手はヤールングレイプルだな」

 だが、アーチャーが牽制代わりに干将莫耶を投擲しながら紡いだ言葉に、彼女ははっと目を見開いた。

 雷神トールが愛用する、北欧神話の中では最強を誇る鎚ミョルニル。
 それを締めることで力が倍増したとも言われる、雷神が身に着けていた力帯メギンギョルズ。
 柄の短い鎚を振るうために必須である、雷神の右手を覆う鉄の籠手ヤールングレイプル。

 それら全てが、今自分の目の前に出現したことを悟ったから。しかも恐らくは、紛い物ではない。そうであればこの赤の弓兵がそれを見抜けないはずはないだろう、と凛は根拠もなくそう確信している。

「ちょ、トール1セット!?」
「ああ。あれで力帯……と言うのはいささか疑問だが、間違いなかろう。というか、1セットという言い方はどうかと思うぞ」

 籠手を覆うようにふわっと右手に絡みついている布を見つめながら、アーチャーは凛の疑問に頷いて答えた。神話の中でそれはトールの腹に締められていた帯であり、籠手を覆うものではないのだ。
 だがそれは、同時に凛の脳裏に新たな疑問を浮かび上がらせる。

「っていうか、何で弓美さんがそんなもん持ってるのよ!? どう見ても彼女がトールなわけないじゃない!」
「さあな」

 あからさまに口を引きつらせている凛に対して軽く首を振り、アーチャーは言葉を濁した。舞い戻ってきた陰陽の剣はバーサーカーに傷を付けるには至らず、ただほんの僅か歩みを止めただけでしかない。

「ですが、相応の宝具であることは確かです。前回もそうでした……ユミは本来の持ち主ではないにせよ、その宝具を扱うことのできる存在ということなのでしょう」

 バーサーカーと数度激しく打ち合い、一度距離を離しながらセイバーが吐き捨てる。彼女は前回の聖杯戦争において記憶を失う前の弓美と聖杯を賭けて戦った間柄であり、その当時のことを思い出しているのかもしれない。

「そうでなくとも彼女は、出所も知れぬ剣を持ち出している。だが凛、忘れてはいないだろうな? 彼女は、サーヴァントだ」

 間合いを取り、タイミングを計る弓美を視界に入れつつアーチャーは呟いた。
 彼女が初めて取り出した剣はグラム。ミョルニルと同じく、北欧神話にその名が見える。
 だが、グラムとミョルニルは本来主を同じくするものではない。それを弓美は──前回のアーチャーは、いずれも当然のように手にした。完全に使いこなせているわけではないようだが、それでも『使ってみせた』。

 ああ、間違いない。
 『彼女』は、『彼』だ。

 心の中だけでアーチャーが呟いた言葉は、マスターである凛も含め誰にも届きはしなかった。無論アーチャー自身、誰に聞かせるつもりもないのだが。
 聞かせたところで意味はないだろうし、何故知っていると自分が追求されるおそれがある。そこから、自身の真名が明かされてしまうかもしれない。
 それには、まだ早いから。

「覚えてないだけで、それが彼女の宝具か……ほんと何者よ」
「おおおおおぉらぁあああああっ!」

 アーチャーの思考をよそに、凛は呆然と呟く。その彼女の前で、弓美は大きく右腕を振り回した。
 少女の細腕とは思えない凄まじい勢いに乗って投擲されたミョルニルは、狙い過たず狂戦士の頭部を直撃する。ぐしゃりという肉と骨が砕ける音、続いてぼきりと首が折れる音が聞こえ、直後にその巨体は背中からどうと倒れ込んだ。

「やったっ!?」
「それはやってないフラグだ、凛」

 思わず歓声を上げかけたマスターに、ぼそりと突っ込みを入れるアーチャー。舞い戻ってきたハンマーを受け止め、弓美も眼を細めて相手の様子を観察している。ややあって、金の少女は吐き捨てるように呟いた。

「ふん。頑丈さに加えてしつこさも持ち合わせておったか、でくの坊め」
「たあっ!」

 弓美の呟きに呼応したのか、セイバーが床を蹴った。振り下ろされた不可視の刃は、ぐいと掲げられた斧剣で受け止められる。そのままバーサーカーは、何事もなかったかのようにむくりと起き上がった。

「うそ……セイバー!」

 目の前で起きた事態を理解できないまま、凛が叫ぶ。とっさに放った魔術がバーサーカーの足元の床を抉り、ほんの僅か巨人の動きを止めた。その隙を逃さず、セイバーは一度引くと凛の前で見えない剣を構え直す。
 ぶるりと頭を振るい、再び刃を構える巨人の背後で、イリヤは勝ち誇ったように声を上げた。己のサーヴァントを倒されたにも関わらず彼女がまるでうろたえる様子を見せなかったことが、サーヴァントたちの警戒心を緩めさせなかった理由でもある。

「わたしのバーサーカーはねえ、試練を受けただけ命を沢山……そう、12個持っているの。一度殺すのだって大変でしょうに、あなたたちに殺しきれるのかしら?」

 彼女としては、ほんのちょっとした自慢だったのだろう。それこそは己のサーヴァントのみが持ち得る、最大の反則じみた条件だからだ。
 だが、その言葉を聞いて弓美は、口元を軽く歪めた。

「……なるほど。牛小屋の掃除を仰せつかった半神か」
「牛小屋、ですか? ユミ」
「うむ、長きにわたり掃除されていなかった大規模な牛小屋をな。確か近くの川の堤防を切って、一気に流したのではなかったか?」

 にやにやと嫌みったらしい笑みを浮かべながら、弓美は訝しげに眉をひそめるセイバーの疑問に答えた。衛宮の長女になってから切嗣に与えられ読み漁った、様々な本の中にある一節を思い出しながら。

「12の試練のひとつ、アウゲイアースの家畜小屋だな」

 続けてアーチャーが、弓美の言葉の意味を端的に口にした。セイバーならともかくこれで分からない凛ではないだろうという、アーチャーには自信がある。

「12の試練って……」

 そうしてサーヴァントの期待に応え、マスターたる少女は顔色を青ざめさせた。
 日本で知られる世界各地の神話の中で、ギリシャ神話はそれを題材にした創作物の多さからかそれなりに知名度が高い。空を飾る星座にまつわる神話も、少し調べれば簡単にその内容を知ることができる。
 その中に記された、10と2の困難な試練。嫉妬心の深い父の妻により科せられた咎をそそぐために、与えられた試練を潜り抜けた英雄がいたという。弓美が例として挙げた『牛小屋の掃除』も、そのひとつ。

「……つまり、バーサーカーの真名はヘラクレス……!」

 その名をあえて、凛は口にした。口にしてしまってから、思わず額を押さえる。両手の指を使っても足りないほどの困難な試練を乗り越え、更に幾度となくその刃を振るった豪傑が敵なのだ、と知らされたのだから。

「ゼウスの息子、神の子……うわちゃー、最強クラスの英雄じゃない……」

 顔を押さえながらも、凛が警戒を怠ることはない。だが、彼女を守るように武器を構えているアーチャーとセイバーの力を頼りにしているようにも思えるのは、気のせいではないだろう。

「しかし、その最強を倒さねば我らに明日はありません、凛!」

 そのセイバーはようよう相手の本質を理解しながらも、自身の気力を奮い立たせるように凛を叱咤する。アーチャーは口を閉ざし、干将莫耶の柄を持ち直した。そうして金の髪の少女は、勢いを付けてがばりと立ち上がる。

「凛もセイバーも何を言うておるか」

 だが、何故かその矛先は味方であるはずの2人の少女に向けられた。「は?」と目を見張る彼女たちの前で、弓美はふんと胸を張る。そのボリュームは凛にもセイバーにもないもので、故にふたりは同時にその眉間にしわを寄せた。

「最強はこの我、衛宮弓美に決まっておるだろう!」

 大きな胸を揺らして、金の少女はそんなことを断言してみせた。一瞬力が抜けたのはセイバーや凛だけでなく、イリヤもだったのが不幸中の幸いと言えよう。


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