マジカルリンリン3
  - interlude -


 昼日中の教室。俺は自分の席に座ったまま、動けなくなっていた。俺の身体の上にのしかかって来る柔らかな身体の重みが、俺の動作を許さない。

『ね、衛宮くん。わたし――いいよ』

 遠坂、頼むからどいてくれよ。もう昼休みが終わってるんだから、お前は自分の教室に戻れ。何で俺の膝の上に、ちょこんと座ったままなんだよ。

『それとも衛宮くん、わたしみたいなメリハリのない身体、いや?』

 い、いやじゃないけどさ。だから戻れってば。こっちは今英語の授業中なんだぞ、藤ねえに見つかったら何言われるか分かったもんじゃない。

『何だったら、こっちの姿でしてあげてもいいよ?』

 わっ、いきなり変身するんじゃない! つーか、猫尻尾が足の間に潜り込んでくるのは仕様か? 仕様なのかっ? ああっ、猫耳まで楽しそうにぴこぴこ動いてるしっ!

『うふふ……衛宮くんかーわいい』

 それは言わないでくれよ。身体もちっちゃいし童顔だしで、いろんな人からそう言われてしょっちゅう凹むんだぞ。てーか、顔を近づけてくるな! 心臓がばくばく言っているのが聞こえちまうだろ!
 ――あれ、遠坂。何でUFOキャッチャーのぬいぐるみくらいにちっちゃくなっちまってるんだ?

『可愛すぎて……あちし、食べたくなっちゃうにゃーっ!』

 突然、ふっと意識が遠のいた。その瞬間俺の視界にあったのは、顔のほとんどを、何故だか輪郭からはみだしているアーモンド型の瞳孔開きっぱなしの眼が占拠していた、二等身の猫耳遠坂だった――

「うわああああっ!」

 がばと跳ね起きた。次の瞬間俺は夢を見ていたことに気が付いて、慌てて周囲を見回す。
 視線視線視線。ええいちくちくするぞ痛いぞ。中でも一番痛かったのは、教壇から突き刺さってくる視線だった。ただ今英語の授業中、担当は担任でもある藤村大河、即ち俺の姉を自認している藤ねえ。じーっと俺を見ている彼女の背後には、いるはずのない巨大な虎のドアップがはっきりと見える。しまった、遠坂とセイバーの同居でちとぴりぴりしていた所だったんだぁ……。

「衛宮士郎! わたしの授業中に惰眠を貪るとは何事かっ! お姉ちゃんは悲しいぞーーー!」

 がおーーー!
 虎が、虎が吼えた。
 さすがに俺は小さくなるしかない。学校でお姉ちゃんはないだろ、と突っ込みたいところだが、悪いのは自分なので「すみません」と小さく返事した。が、虎の怒りはそれでは収まらなかったようで、「廊下に立ってなさーい!」と教科書を投げられてしまった。……藤ねえ、本の角は痛いんだぞ。

「はーい……」

 このまま教室にいてたら、今度飛んでくるのはチョークか机か虎竹刀か分からなかったため廊下へ避難する。ぴしゃんと背中で扉を閉めると、ほうと息をついた。中では怒りのタイガー大暴れの巻続行中のようだ。藤ねえ、教師なんだから授業しろよ。

「――あれ? そう言えば、慎二がいなかったな」

 教室から出る時にちらっと空席が見えた。桜の兄貴の慎二は、俺とは4年ばかしの付き合いになる。悪い奴じゃないんだけど、自信過剰なところがちょっとなぁ。最近は桜に手を上げることもあって、あまり話をしていない。

「朝はいたはずなんだけど……っ!?」

 腕を組んで考え込んだ一瞬後、周囲の空気がずんと質量を増した。くらっとくるこの感覚……今朝校門を通った時に感じた、同じ感じ。俺は耐え切れず、床にしゃがみこんだ。気持ち悪い、身体に力が入らない、目眩がする。何かが身体から流れ出していく。何だこれ……もしかして、発動、したのか……?


  - interlude out -


「――っ!」

 いきなり周囲が赤く染まった。身体から何かを抜き取られるような感覚が一瞬あったのを、魔術回路を起動させることで食い止める。何てこった、不完全な状態で発動させるなんて!

「……!」

 慌てて立ち上がり、教室内を見回した。と、ぐったりしたクラスメートの様子にわたしは息を飲む。
 生気がない。たった今まで普通に授業を受けていたみんなが、机の上に突っ伏して動かない。まるで――死体置き場。なに、これ?

「とお、さ、か、さ――ん……」

 とぎれとぎれにわたしの名前を呼ぶ声が、わたしの意識を呼び戻してくれた。声のする方を見ると、いつもほにゃっと優しい笑顔を浮かべている三枝さんが、必死に上体を起こしていた。

「三枝さん、大丈夫なのっ!?」
「とーさか、さん、こそ、だいじょーぶ……?」

 ああもう、こんな時までそんな可愛い笑顔見せないでくれる!? この非常事態に、それどころじゃなくなっちゃいそう。だめじゃんわたし。

「ええ、大丈夫よ。少し待っていてね、何とかするから」
「……はーい、おとなしく待ってまぁす……」

 それだけ言って、こてんと三枝さんも机に突っ伏した。ああ、そうだ。こんなことをやっている場合じゃない。わたしはこの事態を打開しなくちゃならないんだ、そう思って扉を開け、廊下に出た。

「……とおさか?」

 士郎、あんた廊下に立たされてたわけ? 小学生か。それに、魔術師の端くれの分際で何生気を抜かれてるかなー? しょうがないから近寄って、気合入れるために丸めた背中をばしっと叩いてやる。

「ほら、しゃんとする。魔術回路開きなさい、魔力を全身に回せばそれが防壁代わりになって、楽になるはずだから」
「あ、ああ」

 目を閉じて、魔術回路を開く。みるみる士郎の身体が復調していくのがよく分かった。ってゆーか、目に見えて調子戻り過ぎよあんた、割と単純?

「――よし、もう大丈夫だと思う」

 よっと立ち上がった時、士郎の顔色はすっかり元の通りになっていた。それを確認して、わたしは赤く色づいた空気を睨みつける。

「OK。それにしても、不完全なまま結界を発動させるなんて。焦ってるのかな」
「やっぱりこれ、今朝言ってた罠の結界ってやつなんだな」
「そうよ。範囲内の人間を文字通り融解して取り込む、とてもたちの悪い奴。もっとも不完全だから、時間が掛かると思うけどね」

 士郎が気に掛けると思って言っていなかった結界の効力を、できるだけさらっと口にしたつもりだったけど、それでも士郎は露骨に顔を歪めた。うん、分かってる。わたしだってこんなこと口にしたくなかったし、現実化するなんて思ってなかった。ごめん、わたしが甘かった。

「そんなもの、学校に仕掛けてやがったのかよっ! アンリ=マユだろ、やったのは!」
「そうね。落ち着いて士郎、下手人は多分屋上よ。魔力、辿れる?」

 そう、焦って逸る気持ちは分かるけど。この事態を解決できるのはわたしたちしかいない……ってあれ、セイバーとキャスターに連絡入れてないっ! 慌てて通信機のスイッチを入れてみたけど、うまく通信が出来ない。うわーいお約束。お約束ついでに、連絡が取れなくなったら相手に警報届いたりしないかなぁ、ねぇアーチャー? って、その前にキャスターあたりが結界の発動に気づくか。

「ん……あ、屋上? なら、ちょっと前からおかしいなって思ってたところがあるんだ。多分それだと思う」

 おかしいなって何がっ! ひょっとしてアンタ、そういう場所の異常感知って得意だったりしない? それならこっちとしては便利なんだけど……って、そういうこと言ってる場合じゃないわね。すぐ戦闘になりそうだから変身しておかないと。

「OK。あ、士郎、ちょっとあっち向いててくれない? 変身するから」
「何でさ?」

 こら、首を傾げて聞くな。犬耳犬尻尾に首輪と鑑札つけたろか、アンタならきっととても似合うわよ。

「一瞬だけど服が消えちゃうのよ! それ以上は自分で考えなさい!」

 わたしの顔面は真っ赤になってるんだろうなーと思いながら、があーと士郎に喚く。「あ、わ、悪い!」とくるりと背中を向けた士郎の耳まで赤くなっているのに気が付いて、わたしはちょっと照れ臭くなった。一応、わたしは女の子として認識されてるんだなー。
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