マジカルリンリン3
「――Anfang!」

 胸元のペンダントに制服越しに触れながらコマンドを唱えた。次の瞬間制服が光の破片となって飛び散り……これを士郎に見られたくなかったんだけどね……それが再びわたしの身体にまとわりついて、あのふりふりひらひらなコスチュームを形成する。頭には猫耳、お尻には猫尻尾、ってこれは要らないからー! デザインのやり直しを要求するー!

「はい、いいわよ士郎」

 声を掛けると、士郎はおずおずと振り返った。それから、真面目な顔になって「じゃあ、急ごう」と一言。そうね、ここでぐずぐずしている暇はないんだ。

「ええ。行くわよ」

 素っ気なく言い置いて、わたしは全速力で走り出した。遅いぞ士郎、置いてけぼりにしちゃうから。

 屋上に到着。真紅のイッちゃったような目が、ここの空を占拠している。この学校は、巨大な赤い目玉の中にすっぽりと包み込まれているようだ。ま、外から見たら何も見えないんだろうけどね。一流の結界って言うのは、結界の外にいる人間に範囲内の異状を知らせないものなんだから。

「そこまでよ! 『アンリ=マユ』!」

 で、給水塔の上に偉そうに立つ人影がひとつ。丸い肩に、波になった布が首の回りをくるりと巻いている襟に、かぼちゃぱんつと白タイツ。あんた何十年前の王子様ルックなのよ? あーもぅ、疑問を口にするより先にギアス発動、ポーズを決めてる自分が悲しい。

「冬木の平和を守る為! 邪悪の野望を砕く為! 聖杯戦士☆マジカルリンリン、ここに見参!」

 あーうー。セイバー、キャスター、早く来なさいよ。一人でこれはものすごーく恥ずかしいんだから。もっとも、高ーいところで古くさいかっこつけしてるあの男よりはマシだけどね……あ、こっち向いた。

「あはははは! 衛宮、遠坂! ようこそ、鮮血神殿の祭壇へ!」
「………………えーっと……慎二?」

 士郎が元々丸い目を余計に丸くして奴、こと間桐慎二の名を呼ぶ。あなたの気持ちもよく分かるわ、ええもう頭が痛くなっちゃうほど。煙と何とかは高い所が好きだって言うけれど本当ね。給水塔の上って、校内で一番高い所の一つじゃない。

「慎二などと馴れ馴れしく呼ぶんじゃない! 僕はアンリ=マユの上級幹部、マスター・シンジだっ!」
「うわ、名前までダサっ!」

 あ、ごめん。つい本音が口をついて出ちゃった。てへ、と舌を出して笑ってやったけど、慎二……じゃなくって自称マスター・シンジの顔は真っ赤っか。うむ、怒ってる怒ってる。

「アンリ=マユの幹部だって? ……ま、まさか……桜も……?」

 そう、士郎が考えるのも無理はないか。っていうか、わたしもその可能性は危惧してるんだけどね。何たって桜はわたしの――ううん、考えるのはやめておこう。もう、10年以上も前に終わったことなんだから。

「は、桜だって? あんな腰抜けがアンリ=マユにいたって、何も出来る訳ないだろ! 安心しろよ、桜は何も知らないさ。今頃は自分の教室で引っ繰り返ってるだろうけどね」

 慎二がああ言っていることだし、今のところはそういうことにしておこう。わたしはあんたのこと、まるで信じていないんだからね。後でウソだってばれたら怖いわよ?

「そっか。桜は何も知らないのか。よかった」

 だっていうのに、士郎は慎二の言葉を全面的に信じ込んだみたい。お人よしなんだから、もう。

「……ふ、ふん、そんなのんきなことを言っていていいのかよ? 穂群原学園のみんなの命は、今や僕の手の中なんだからね」
「これは……お前の仕業なのか? 慎二」
「だから違うだろっ! マ・ス・タ・ア・シ・ン・ジ!」

 士郎はあくまでマイペース。マスター・シンジ……長いからやっぱ慎二でいいわ、の方は自己主張が強すぎて士郎にお怒り気味ね。上級幹部なんて言ってるけど、実のところは使いっ走りとかお掃除役とか鉄砲玉とか、そこら辺をおだててやらされてるだけじゃないのかなぁ。

「それじゃあマスター・シンジ、あなたごときがこんな強力な結界張れるとでも言うの?」
「その言い方、何だか気に障るな。どうせ僕は魔術回路もないろくでなしだよ!」

 あら、自覚はあったんだ。そう、慎二の身体には魔術回路はない。慎二の家……間桐は魔術師の家系だけれど、この地と相性が悪かったのかどんどん廃れていって、既に魔術師とは名ばかりのただの旧家と化している。そうでなければ、あの子を欲しがる訳がない。

「まあいいや、教えてやるよ――コマンダー・ライダー!」

 わたしと士郎がじっと見ていると、慎二は何を思ったのか偉そうな態度を復活させてあらぬ方向へと視線を投げかけた。と、一瞬空気が歪んで、そこからひとつの人影が姿を現した。
 長い、長い髪の女性。背も高い……士郎よりも高いわね。スタイルも抜群、くそうその胸分けろ。目元をがっちりした目隠しで覆い隠しており、ぴったりした黒いミニの衣装からすらりと長い脚が伸びている。首にはチョーカー、っていうかモロ首輪がはまってて、その手には鎖の付いたトゲトゲのダガー。どうやら彼女がこの結界……慎二曰くの鮮血神殿を構築した犯人、ということになる。

「はい、マスター」
「遠坂は動けなくして、僕の所まで持ってこい。衛宮は……そうだな、ライダー、お前の好きにしていいぞ。魔力もろくにないけど、魔術回路はあるみたいだからお前得意のあれで回しまくってやれ。お前の魔力の足しにはなる」

 ……あ、今わたし、ものすごくむかついた。相手が悪の組織の幹部とかそんなところにじゃなくて、人様をもの扱いしてくれたところに。ふざけんじゃないわよ、わたしはあんたのモノじゃない!

「はん、そんなこと、できるもんならしてみなさいよ!」

 銃を撃つように構えたわたしの左手。これは変身していなくても、呪文を唱えなくても使える魔術。我が遠坂家に代々伝わる魔術刻印から放たれるガンドが、慎二を狙って飛んだ。

「ハッ!」

 わたしのガンドを追って、白と黒の短剣を投影した士郎が走る。と、彼の前にライダーと慎二が呼んだ女性が立ち塞がった。ダガーを軽く振り、とっさに士郎が振り下ろした短剣を軽々と受け止める。

「その程度の力では、わたしを退けることはできません。落ちなさい」
「士郎!」

 あまりにも淡々とした彼女の言葉。一瞬虚を突かれた士郎の脇腹を、ライダーの回し蹴りが直撃する!

「――っ!」

 ぽーんと。
 まるでボールか何かみたいに、士郎の身体は、ゆっくりと校舎の下へ消えていった。


  - interlude -


「御馳走様でした」

 箸を揃えて置き、わたしは両手を合わせて感謝の言葉を口にしました。それから、シロウのやり方の見よう見まねで日本茶を注ぎ、緑色の液体を一口含みます。ああ、至福の一時。

「午前中は何事もなし。このまま何事も起きなければ良いのですが」

 シロウがわたしのために作り置いてくれた昼食の食器を厨房まで運び、御飯粒が固まらないように水を張った洗い桶の中に浸けておきました。こうすることで、洗い物を手がける者の手間を省くことが出来る……なるほど、何事にも下準備というものは必要なのですね。
 シロウと凛がこの衛宮家に戻ってくるまで、わたしはそれなりに暇な時を過ごしています。幸いこの家には道場が存在するため、精神統一や修行の場としては実に良い環境だと言えるでしょう。
PREV BACK NEXT