マジカルリンリン6
  - interlude -


 間桐の家はしーんとしていて、いつも以上に人の気配がしなかった。わたしはライダーと目配せをして、そっと玄関の大きな木の扉を開ける。鍵、掛かっていませんね。

「……どう?」
「蟲の気配も感じませんね。どこに隠れたのか……」

 訝しげに眉をひそめるライダーと離れないように、『自分の部屋』へと入った。他人がこの家に来た時にわたしの部屋だと言って見せる、ほとんど使ったことの無い部屋。だって、『わたしの部屋』はこの家の地下にある、蟲たちの棲む暗い空間だったから。

「ええと、服と下着はありったけ持って行くとして……」
「サクラ、それより学校で必要なものを優先してください。明日から再開なのでしょう?」

 ……うーん、どうも先輩の家にお泊まり、という感覚が抜けてないみたい。あ、このキワドイ下着は勝負用だ、よし持って行こう。これだけを着けて迫れば、いくら朴念仁な先輩でもいちころ、というものです。あれ、最近いちころって言わないかな? 兄さんと一緒で死語の世界に生きてるのかな、わたし。

「サクラ。ここまで気配がなさ過ぎるのは妙です」

 ライダーが不信感を露わにして言う。うん、分かってる。多分これは罠、わたしとライダーはお祖父様の手中にいるも同じだろう。だけど、無理を言ってやってきた以上はちゃんと役目を果たさないといけない。

「分かってる。……地下に行きます」

 蟲たちがいるはずの倉は地下にある。そこにいるはずのお祖父様に、わたしは言わなければならない。もう、あなたの思いどおりにはなりません、って。
 廊下の隠し扉の前まで来て、異常がはっきりした。ほんの僅かに扉が開いているにも関わらず、その中からは何の気配もして来ないから。わたしとライダーは、お互い妙な顔を見合わせる。

「――行きます」
「待ってくださいサクラ、わたしが先に……」

 うん、ライダーがわたしを気遣ってくれてるのは嬉しい。だけど、ライダーを先に入れるということは彼女を蟲に晒すことでもあって……だから、わたしは首を横に振った。

「わたしが先に入った方が、ライダーの視界に入ってるから安心よ?」
「……分かりました」

 ライダーはわたしの言葉に頷いてくれた。だから、わたしは扉を開けてゆっくりと中へ足を踏み入れる。

 ……蟲が、いなかった。
 階段を降りて、最下部の床を踏み締めても、足元に寄ってくるはずの蟲が一匹もいない。蟲の中でわたしを見つめながら汚く笑っているお祖父様の姿もない。
 嗅ぎ慣れた独特の臭いだけが、この暗い空間を漂っていた。ここはもう空っぽ。捨てられたアジト。

「サクラ……これは一体……」
「分からない。とにかく、このことを先輩たちに早く知らせないと」

 そうだ、呆然としてる場合じゃなかった。アンリ=マユの最高幹部たるお祖父様が、本拠地であるべきこの家から消えた、なんて一大事!

「急ぎましょう、サクラ!」
「はい!」

 今降りて来たばっかりの階段を、慌てて駆け上がる。と、わたしの前を走るライダーの目の前で、ばたんと扉が閉められた。どん、と扉を殴る音がしたけれど、この扉と壁は蟲を逃がさないための強力な魔術防壁……変身していないライダーでは、破るのは難しい。

「……やはり、罠……」

 ライダーが低い声で唸る。わたしはどうしよう、とも考えられないまま、ぼうっと真っ暗闇を見つめていた。
 まっくら。
 まっくらな、闇。

 わたしの、せかい。


  - interlude out -


  - interlude -


「よいしょっと」

 藤ねえの荷物を玄関先に下ろす。うちに持ってきた荷物の多いこと多いこと……この虎、本気でうちを別荘か何かと思ってるんじゃないだろうな?

「で、これで全部だな?」
「うん。ごめんねー士郎、荷物持ちやらせちゃって」
「あー、気にすんなよな。どうせ買い物のついでだし……あ、これお願いします」
「へい、承知しやした」

 藤ねえの荷物を、迎えに出てきた若い衆の人に渡しながらの会話。ちっともごめんと思ってない顔で手を合わせられてもなぁ。でもま、買い物のついでってのは本当のことだったわけで。それに、藤ねえは親父が死んで独りぼっちになった俺の家族と言ってもいい。だから、このくらいはやって当たり前だ、と自分では思っている。
 で、用事も済んだので買い物に行こうとしたら、藤ねえに服の裾を引っ張られた。

「あれ、ねぇ士郎、お祖父様に会ってかないの?」
「ん、今日はいいや。また今度な」

 うん、今日はやめとこう。そう考えて言うと、藤ねえは「そっか」とちょっと寂しそうに言った。あんたの祖父なんだから、あんたが爺さん孝行しなきゃだめだろ?

「じゃ、また学校でな」
「うん、学校で――あ、士郎」

 そっけなく手を振って別れようとして、呼び止められた。「何?」って振り返ったら、藤ねえはいつもよりも大人っぽい笑みを浮かべて言った。

「士郎たち、何やってるんだか知らないけど。1人で無理しちゃだめだよ?」
「……ああ、分かった」

 参った。さすがは藤ねえ、気づいていないようでしっかりバレてた。ごめん、と心の中で手を合わせて、さりげなく背中を向けた。
 だけど……ああ、よかった。家を離れてくれたわけだし、これでこないだみたいにうちを襲撃されても、藤ねえは無事だ。それがはっきりしたことだけは、嬉しい。

 そのまま道を下って行って商店街に入り、お茶菓子代わりにフルールでケーキを買う。遠坂によれば今日はアーチャーが家に来るそうだしな。あいつ、紅茶淹れるのが上手いそうだから……むぅ、淹れ方習おうかな。遠坂の喜ぶ顔が見てみたいし。
 ケーキの箱をぶら下げて、ついでに買った鯛焼きを手にしたまま小さな公園にやってきた。ここ、昔遊んでた時に気の強い女の子と喧嘩になったんだよなぁ。あの子、今どうしてるんだろ。

「……子供、少なくなったな」

 ベンチに座って、ぼーっと景色を見つめた。昔……っていっても俺が衛宮になってすぐくらいだから10年くらい前だけど、その頃は結構みんなで遊び回ったものだ。今は子供たちって塾とかで忙しいんだろうな〜。

「お兄ちゃん」
「え?」

 不意に声をかけられて顔を上げた。目の前に、銀の髪と赤い目の女の子がいる。ああ、桜と一緒にいた時に会ったあの子だ。何か印象が強くて覚えてる。あの時は顔の造作に気を取られていたけれど、良く見てみると着ている服は結構高そうだ。帽子まで被って結構厚着だけど、寒がりなのかな?

「また会ったね」
「ああ、そうだな」

 まだ2度目なのに、楽しそうに声をかけて来る彼女。俺も悪い気はしなかったから、隣の席を勧めた。「ありがと」と言いながらちょこんと座って、それから女の子は俺をじっと覗き込むように見上げて、言った。

「まだ目覚めてないのね。待ってるって言ったでしょう」
「そう……みたい、だね。君が何を待っているのか、俺には分からないし」

 俺がそう答えたら、彼女はぷうと頬を膨らませた。多分、今ここにいる俺が『彼女が待っている』俺でないのが面白くないんだろう。

「……ね、名前何て言うの?」

 不意に彼女に尋ねられて、俺はやっとまだお互いの名前を教え合っていないのに気がついた。そう言えば前回は、彼女が俺と桜に一方的に話しかけてきただけだったもんなぁ。

「名前か。俺は衛宮士郎」

 まずは俺から名乗らないとな、と自分の名前を言う。と、彼女は目を丸くして、うーんと考え込むような顔になった。

「エミヤシロ? 変な名前だね」

 ああ、そうか。彼女はその外見から言って、多分外国の人だろう。なら、日本の名前の切り方がよく分からないのかも知れない。……って、最初から俺たち、日本語で会話してるよな?

「衛宮・士郎。エミヤが名字で、シロウが名前だよ。士郎って呼んでくれて良い」
「ふぅん……エミヤ、シロウか」

 俺の説明に納得してくれたのだろう。彼女は俺の名前を呼んでうん、と1つ頷くと、ぽんとベンチから降り立った。座ったままの俺の真っ正面まで進み出ると、履いているスカートを両手で持ち上げて可愛らしく……と言うよりは優雅に頭を下げた。

「エミヤシロウ。わたしはイリヤスフィール=フォン=アインツベルン。どうぞ、お見知りおきを」
「あいんつべるん?」

 やっぱり外国から来た子なんだ。……けど、日本語流暢だなぁ。それに、何だろう……何となく、懐かしいような感じがする。

「ふふ、シロウは魔術師としてのお勉強、ほとんどしていないのね。トオサカの当主ならわたしの名字は知っているはずだから、帰ったら聞いてみると良いわ」

 イリヤスフィール、と名乗った女の子はそう言ってひらりと俺の隣に戻り、悪戯っ子みたいに笑う。あれ、やっぱり懐かしい笑顔のような気がする。おかしいな……彼女と会うのは今日が2回目のはずだし。それに、彼女が『魔術師』という単語を出したことも不思議とは思わなかった。
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