マジカルリンリン6
「えっと……じゃあイリヤスフィール、は長いか。イリヤ、って呼んでいいかな?」
「え?」

 あ、やっぱあまり面識のない相手から愛称っぽく呼ばれるのは嫌だったかな。こちらの意見を撤回しようと口を開きかけて……

「いいよ。シロウだから許してあげる」

と、許可を貰ってしまった。ま、いいか。と、そうだ。ここで会ったのも何かの縁だし、温かい方が美味いし。

「ありがとう、イリヤ。そうだ、鯛焼き食べるか?」
「タイヤキ?」

 イリヤは鯛焼きを知らなかったのか、興味津々で俺の手が取り出す鯛焼きを見つめている。買ったばかりのまだ温かいそれを、俺はイリヤの手に持たせてやった。良かった、2つ買っておいて。

「2つあるから、1つやるよ。ご挨拶代わりってことでいいかな?」
「……うん、そういうことにしてあげる。ありがとう、シロウ」

 ぺこっと頭を下げて、鯛焼きを一口頬張るイリヤ。ぱっと目を見開いて、それから俺を嬉しそうに見上げてきた。うん、気に入ってくれたみたいだな。

「……えへへ、美味しいね。これ」
「ああ、いつも買ってるところの鯛焼きは美味いぞ。尻尾の先まであんこが入ってるしな」

 2人並んで、鯛焼きを黙々と食べる。ハタから見たら、もしかして俺って幼い子を連れて行こうとしてるアブナイお兄さんに見えるのかな? 警察沙汰だけは勘弁願いたい。……ややあって、俺より少し遅れ気味に鯛焼き1匹を食べ終わったイリヤがぱんと両手を合わせた。

「……ご馳走様でした。うん、あったかくて美味しかった」
「そりゃ良かった」

 幸せそうなイリヤの笑顔を見ていると、何かこっちまで嬉しくなってくる。いかんいかん、これじゃ本気で警察に通報されかねん。この歳で前科者は嫌だ。せめて家まで連れて帰った方が……って、あ。

「……そう言えばイリヤ。君、どこに住んでるんだ?」
「え、わたし? お城よ。森の中にあるの」
「お城?」

 森って言えば、確かに冬木の郊外には大きな森が広がっている。そして、そう言えばかなり前に聞いたうわさ話があったっけ。『森の中にはお城がある』『お城にはお姫様が住んでいて、お城の宝物を渡すべき王子様を待っている』とか何とか。だけど、公式には森の中にそんな建造物はないとかって、聞いたけど。

「えっと……森の中のお城って、本当にあるのか?」
「当然よ。あ、でも森に結界張ってあるから、普通の人は入ってこられないかな。迷って外に出ちゃうようになってるの」
「へぇ……」

 なるほど。確か大事な宝物があるから、下手に入ってこられちゃ危ないんだっけな。って、これはイリヤの言ってるお城と、うわさ話の中に出てくるお城が同じものだっていう前提だけど。
 と、不意にイリヤが立ち上がった。俺の目の前まで来て、にっこりと無邪気に微笑む。おい、口の端にあんこ、ついてるぞ。

「鯛焼きのお礼に、シロウにいいもの見せてあげるね。考えてみたら、目覚めてからじゃ遅いか」

 目を閉じて、という彼女の言葉に、俺は素直に従った。と、額に掛かった前髪を掻き上げる小さな手の感触と、続けてこつんとぶつかる感触がした。どうやらイリヤが、自分のおでこをぶつけてきたようだ。その瞬間、身体がふわりと浮くような感覚があったけど、気のせいかな?

「はい、いいよ。目を開けてみて」

 イリヤに言われて目を開けてみる。……って、あれ? 俺は今、公園のベンチに座っているはずなんだけど――俺の視界に映っているのは、見渡すばかりの木、木、木。これってひょっとして……

「どう? シロウの視覚を、わたしの森の木に入れ替えたんだ」
「視覚を入れ替えたって――イリヤ、君って一体……?」

 そんなこと出来るのかよ、って言いそうになったけど、実際に出来てるんだから仕方がない。そのくらい、俺の目に映る木々はリアルだった。葉っぱの1枚1枚、幹と幹の間を吹き抜けていく風、そよぐ下草。虫があまりいないような感じがあるけれど、あの焼け跡よりはよっぽど生命に溢れている。

「うふふ。シロウ、わたしのお城までの道順、教えてあげる。ちゃんと覚えてね」

 ということは、今見ているこの光景は森の入口付近ってことか。うん、何だか覚えておかないといけないような気がする。だから、俺は素直に頷いた。

「よーし、いい子ねシロウ。それじゃ、先に進むわよ」
「おぅ、お手柔らかにな」

 なぁイリヤ、いい子ねって俺、そんなガキじゃないぞ。

 ――それから、いくつかの風景を渡り歩いた。特徴的な形の木を覚え、途切れた森の中の廃墟を覚え、そして……最終的に木々が開け、その中に、本当にお城が出現した。これがイリヤの城?

「はい、到着したよ。ここがわたしのお城。アインツベルンが本国から持ってきて建てた、宝物をしまい込む為のお城」
「本国から? まさか、城丸ごと移築したのか?」

 なんつーか、冗談のような話だ。だけど、城の外壁の素材とかを見ているとイリヤの話が本当だって分かる。建築技術だって、日本のものとは微妙に違うしな。

「うん。さてとシロウ、道順は覚えた?」

 あれ、イリヤひょっとして疲れてるか? ま、そりゃそうだろうな。他人の五感を、例え視覚だけとはいえ別のものに移すんだ。術者であるイリヤが疲れるのは仕方がない。そろそろ終わらせないとな。

「ああ、ちゃんと覚えた。イリヤのお城に行くのに、もう迷わない」
「よかった! じゃあ、元に戻すね。目を閉じて」

 再び目を閉じる。と、また身体が浮くような感覚があって……次の瞬間、俺の目は俺自身の視界を映し出していた。目の前には、そのままの姿でイリヤが立っていた。ほんの一瞬だけ、彼女が真っ白なドレスを着て王冠を被っていたように見えたけど、これも気のせいだな。今日は気のせいが多いぞ、俺。大丈夫か?

「どうだった? シロウ」
「うん、何か凄かった」

 素直に思った感想を述べる。と、イリヤは何故かむーとふくれっ面。俺、何か気に障るようなこと言ったか? 女の子ってよく分からない。

「そうじゃなくって……ああ、良いわ。シロウは魔術の知識、少ないんだもんね。許してあげる」

 はいごめんなさい。って、これは知識を教えてくれなかった親父に文句をつけるべきか?

「悪い」
「ううん、良いわよ。きっと、キリツグがシロウの為を思って何も教えなかったんだと思うから」

 ――はい?

「キリツグってイリヤ、うちの親父の名前知ってるのか?」
「うん、まあね。シロウは知識がないから知らないだろうけど、エミヤキリツグの名前、魔術師の間じゃ結構有名なのよ?」
「そうなんだ……」

 いやビックリ。あののほほん犬耳魔術師、そこそこ有名人だったんだな。もっとも、俺自身が魔術師との繋がりが皆無だったから知らないだけかもしれないけれど。

「……さてと。今日シロウに会いに来た用事はこれで終わり。もう帰らなくっちゃ」

 久しぶりに親父の、歳食ってる割に子犬チックな笑顔を思い出していると、イリヤがそう言ってふわりと身を翻した。厚手のコートやスカートが彼女の動きにつれてふわっと広がる、ってことは柔らかい、良い素材使ってる服ってことか。

「じゃあシロウ、今度はあなたが目覚めたらわたしに会いに来て。わたしは待っているから」
「出来るだけ、早く行けるように頑張ってみるよ」

 どう頑張れば彼女が求める『目覚め』がやってくるのか分からないけれど、とにかく俺はイリヤにそう答えた。俺の返事を聞いてにこっと笑った彼女の表情は――親父に、どことなく似ていた。

「衛宮士郎。そんな所で何をしている?」

 ごつっ。
 こら、名前を呼ぶと同時に人の頭をグーで殴るのはやめれ。ちょっと頭、内側から痛いんだぞ。

「あてっ! ……あ、アーチャー……」
「何をしている、と私は聞いたのだ。リストラ食らったサラリーマンのごとく、1人で黄昏れているんじゃない。たわけ」

 俺の頭を殴った遠坂曰くの『何でも屋』は、高々度から人の顔を白い目で見下してくれている。ああそうだよ、お前さんと俺じゃあ立って並んでも20センチ以上身長差があるよ。ちくしょーチビで悪かったな。……って、1人?

「……あれ?」

 慌てて周囲を見回す。たった今まで俺の目の前にいたはずのイリヤの姿が、もう公園のどこにもなかった。

「何を惚けている。家に戻るのだろう、一緒に来い」

 ええい肩をそびやかすな、わざとらしく大きなため息をつくな。どうせハタから見たらどっかおかしいように思われるだろうよ。ってこら、人を置いて先に行くな! お前の目的地は俺んちだろうが!

「……今まで、イリヤと話してたんだ」
「イリヤ?」

 急いで立ち上がり、大きな鞄をぶら下げたアーチャーの横に並んで歩き出す。脳の奥底からずき、ずきと響いてくる微かな痛みを抑え込みながらぽつんと呟いたあの子の名前を、アーチャーは敏感に聞き取ったみたいだ。

「イリヤスフィール=フォン=アインツベルン、って名乗られた。遠坂なら知ってるって」
「たわけ。冬木の魔術師で知らない方がおかしいのだ。その辺、帰宅したらきっちり凛に叩き込んで貰え」

 言われなくてもそのつもりだ。
 ……あれ。何だか、イリヤじゃないけど懐かしい感じがする。

 何でだろう。
 髪の色も、肌の色も、目の色も違うコイツに、親父を見るなんて。


  - interlude out -
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