マジカルリンリン17
『いえ……あなたがたが、贄にならぬ場合は……この身が、代替となるだけの、こと』

 そこまで言って力が抜けたのか、彼女はがくりと膝を突いた。項垂れた顔は前髪に隠れて、私から彼女の表情を伺うことはできない。口元からつつと流れ落ちた血がぽたり、とその膝に垂れると同時に、彼女の身体は大地へと投げ出されるように倒れた。
 何の感慨もなく、倒れている少女の身体を見下ろす。彼女の言葉が頭の中を駆けめぐる……まぁ、そんなことだろう、とは思っていたけれど。
 つまり、ここで私たちとアンリ=マユの戦士たちが戦う。祭司は1人だけ、残りは全て生け贄と言ったのは誰だったか……そう、聖杯発動の儀式を行う祭司は1人だけあれば良い。残る我ら戦士たち……あちらの連中も含めて……は全て生け贄。どちらが倒されても、祭司にとっては儀式の準備が整えられていくだけのこと。

「……いずれにせよ、聖杯発動まで時間がない、ということね。ライダー」

 キャスターが呟きながら、私の身体を魔術で癒してくれる。完全にダメージが消えたわけではないけれど、戦うのに支障はない。よいしょ、と声を掛けながら立ち上がる。あーいやだいやだ、まるで年寄りみたい。

「その通りですね。急ぎましょうキャスター、この分だとリンたちも勝負を付けてしまっているかも知れません」
「どちらが勝つにしろ、生け贄の数は揃っていくわけだからね……ああ、借りたわよ」

 ぱたぱた裾を払った私の手に、ダガーが戻される。ありがとうと礼を言いながら軽く振り、黒い血を落とす。そして、私たちは顔を見合わせた。

「士郎が無事ならば良いのですが」
「確かに。さぁ、魔力の流れからすると大聖杯はあちらの方よ」

 キャスターがすっと奥への通路を指差す。私はこくりと頷いて、地面を蹴った。一瞬視線を掠めたブラックセイバーには、何も思わずに。
 死んだ者に気を取られていては、生きている者を救うことなどできないから。


  - interlude out -


「……わたしを見て、笑ってましたね。ギルガメッシュ」

 すっかり薄暗い洞窟の中に戻ったそこで、セイバーがぶつくさ愚痴っている。あ、ひょっとしてあんた、金ぴかのあの笑顔誤解してんでしょ?
 その点、超弩級の朴念仁だけれども士郎はあいつと同じ男で、あいつがセイバーを好きなのと同じくらい……かどうかは知らないけれどわたしのことを好きだから、あいつの心境をちゃんと代弁してやってる。

「……最後に見れたのがセイバーの顔だったから、嬉しかったんじゃないのかな? あいつ、本気でセイバーのこと好きだったみたいだし」
「だったらあの性格を直せというものです! まったくもう……消えた相手に何を言っても無駄ですけど」
「まったくそうね。あんなえらそーな性格で、セイバーみたいな誇り高い女がついてくるとでも思ってたのかしら?」

 わたしも腰に手を当てて、ふんと鼻息荒く文句を言ってみた。いや、士郎みたいな相手だと逆にわたしが手を引っ張っていく、みたいなことになるんだけど。それでもいいや。

「ま、とりあえずギルガメッシュは倒したわけだし、急ぎましょう。イリヤスフィールが待ってるわよ」

 そうわたしが言ったら、士郎は「ああそうだ、行かないと」と軽くガッツポーズを取って、それから歩き出す。わたしとセイバーは顔を見合わせて、うん、と大きく頷いた。


『センパイ、お待ちしてました』

 だから、一瞬反応が遅れた。
 士郎を狙っていた、黒い影に。

「――え?」

 声を掛けられて顔を上げた瞬間、士郎がどこか間の抜けた声を上げる。その声にわたしとセイバーがそちらを見た時……士郎の身体が、黒い影の布のような身体に包み込まれた。

「シロウっ!? くっ!」
「……だめ、士郎!」

 わたしより一瞬立ち直るのが早かったセイバーが、士郎に向かって駆け出す。わたしも慌てて走り出す……2人の位置からすると、ほんの少しわたしの方が士郎には近い。その間にも、あの普通より小柄なあいつの身体は赤いラインの入った黒い布で覆われていく。

「な、何だこれっ!?」

 しゅるしゅると自分の身体に巻き付いていく黒い布に、士郎はなすすべもなく包まれていく。一瞬目を見開いて呆然としていた士郎が、泣きそうな顔をしてこちらに手を差し伸べた。自分を巻き込んでいく布から何とか逃れようとして、それを掻き分けながらわたしに手を伸ばしてくる。わたしも全速で走りながら、必死で手を伸ばす。ちくしょう、届け、届けっ!

「……遠坂ぁ……っ!」
「士郎っ!」

 わたしに向かって伸ばされる士郎の手と、士郎を掴まえようと伸ばしたわたしの手。
 お互いの中指同士が微かに触れ合った、その刹那に。
 士郎がぐいと引き戻された。既にほぼ全身を黒い布で覆われた彼の身体がわたしの手の先から後方へ引き離され……黒衣の少女の腕に抱き留められる。

「士郎! ――桜!?」
「サクラ……その姿は……!?」

 わたしも、セイバーも、衝撃でか黒い布のせいでかは知らないけれど気を失った士郎の身体を抱きすくめている彼女の名を知ってる。ううん、知ってるどころじゃない。だって、その姿は桜そのものだったから。髪の色が脱色しちゃってるし、今士郎を絡め取っている布と同じような服着てるし、何か全身に赤いアザみたいなのが浮かび上がってるけど、間違いなく桜だったから。

『うふふ……』

 ――違う。
 アレは、桜の姿をしているけれど桜じゃない。
 時々、桜の顔をよぎった桜じゃない桜の表情。
 その正体が、今目の前にいる『桜』だ。
 正確に言うと、桜になりすましてる『ナニカ』だ。

『やぁっと、先輩がわたしのものになりました……長かったです』

 『桜』が、ぐったりしている士郎に頬ずりしている。こら、そんなことするのはわたしであってあんたじゃない。人の男返せ、偽者。いや、本物の桜でも許さないけれど。

「サクラ……いえ、貴様! 今すぐシロウを手放し、どこへなりと消えなさい!」

 セイバーが見えない剣を構える。わたしはゼルレッチを構えようとして……手の中のそれが、アゾット剣に戻っていることにやっと気が付いた。ああそうだ、ゼルレッチはアゾットを核にして士郎が無理矢理に投影したもの。士郎の世界が吹き飛んで、士郎の意識が奪われた今、あれが現界できてたらそれこそ奇跡なんだ。

『いやです。やっと……やっと先輩がわたしのもとに来られたんですから。もう離しません、先輩はわたしが産まれる為の端末になるんです』
「――『産まれる』ため?」

 その言葉の異様さに、わたしは眉をひそめた。だって、それじゃあ今目の前にいる桜の姿をしたこいつは一体、何なんだろう?

「貴様は……まさか、アンリ=マユ」
『そう呼ばれています。もしくはこの世全ての悪、とも』

 古い宗教でそう名付けられた絶対悪。それが自分だと、『桜』は言ってのけた。その胸の中に『正義の味方』をかき抱いて。

『この姿をしているのは、わたしを崇めてくれているお祖父様が提供してくれたから。本当なら、本来のマトウサクラの身体を乗っ取るつもりだったんですけどね?』

 くすくす笑いながら、『桜』は眠らされている士郎の唇に自分のそれを重ねる。このクソ神! そんなことしていいのはこのわたし、遠坂凛だけだーこの大たわけぇ!! あーアーチャーの口調伝染った!

「桜の身体を乗っ取って、士郎を連れて行って! それで、あんたはこの世界に生まれ出る気なの!?」
『はい。幸い、今回の祭司の方はわたしが何者であろうと、生まれ出る者には祝福を与えてくれるそうですし。お祖父様も、わたしがこの世に産まれてくる為に力を注いで下さってますから』

 ……あーそーかい。
 絶対悪をこの世界に生み出すのがグランドマスター・マキリ……間桐臓硯の目的。
 そのためには聖杯の力が必要で、聖杯を発動させる為には聖なる鞘アヴァロンが必要で。
 だから聖杯であるイリヤスフィールを連れ去り、今また鞘の主である士郎を連れて行こうとする。

 絶対悪が産まれてしまったら、この世は地獄になる。
 古代宗教ではアンリ=マユに対する絶対善が存在するけれど。
 いいとこ、この世界に顕現するのは『世界を守る為に患部を切り落とす』抑止力だ。

 そんなことになったら、目に見えるもの全部を救いたいって願ってる、士郎が悲しむ。士郎が怒る。
 そして、士郎はきっと全てを救おうとして――壊れて、摩耗して、あの白髪で黒い肌の守護者になってしまう。

「ふざけるな! 士郎を返しなさい!」

 そうさせないと自分に誓ったから、わたしはアゾットを腰に構えて駆け出した。士郎と中指同士が触れ合う位置まで接近してたんだから、『桜』ともそう離れている訳じゃない。すぐに奴の目の前まで到達する。

「そうです! シロウを放しなさい、アンリ=マユ!」

 同じようにセイバーも駆け寄ってくる。風王結界に包み込まれることのない、金の剣を振りかざしながら。

「てやあああっ!」
「たあ――っ!」

 黒い布を目がけて振り下ろされた2振りの剣は――

『……わたしの邪魔をしないで下さい』

 ――『桜』が掲げた片手の平で、やすやすと受け止められた。その身に纏われた黒い布がまるで触手か何かのようにしゅるりと伸び、わたしたちの手へと伸びる。

「くっ!」

 セイバーは咄嗟にそれを振り払うことができた。だけど、わたしは振り払えず……黒い布がわたしの手に触れる。
 どくん、と音がしたような気がした。と同時に全身からどっと力が抜き取られていく。しまった、あの布、魔力を奪い取ることができるんだ……だから、魔力の少ない士郎は一気にほとんどを抜き取られて、意識を維持することができなかったんだ……く、駄目だ、わたしも……!
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