マジカルリンリン17
『……このくらいで勘弁してあげますね』

 くくっと喉で笑うような声が響いた。わたしの身体は解放されて、力を入れることもできずに地面に膝を突く。……あれ? 何だか、おかしい……。力が入らない、だけじゃなくて……。

「り、凛、変身が……」

 セイバーの言葉の意味が分からず、わたしは自分の身体を見下ろして……えらいことに気が付いた。今、わたしの身体を覆っているのは普段着慣れた赤いセーターと黒のミニスカート、黒のオーバーニーソックス。つまり。

「変身が、解けてる……」

 これは結構ショックだ。聖杯戦士のコスチュームは、猫耳猫尻尾はともかくとして魔力のブースターや魔術防御を兼ねている。それが無くなったってことは……わたし、結構大ピンチ? いや、士郎は最初からそんなもの無かったんだけど。でも、これは拙い。

『魔力は頂きました。それじゃ、わたしのお友達と遊んでいて下さいね。生け贄さん』

 ショックで動けないわたしと、わたしを守るように立っていてくれているセイバーをちらちらと見比べて、含み笑いをしながら『桜』はことさらわたしに見せつけるように士郎にキスをした。そして、士郎ごと影の中に取り込まれるようにして消える。わさわさ、と闇の中からざわめく声が聞こえてきたのは、その直後のことだった。

「置きみやげ、ですか……どうあってもあれは、わたしたちを贄として取り込みたいようですね」
「みたいね」

 ともかく、へたり込んでいても始まらない。わたしは魔術回路をフル回転させて、どうにか普通に動けるだけの魔力を確保する。それから立ち上がって、これだけは消えなかったアゾットを握りしめた。
 と、セイバーがす、とわたしの前に立つ。その背中が、彼女の強固な意志を示すように大きく見える。

「……凛。あなたは奥へ。大聖杯へ向かって下さい」
「え?」

 彼女の言葉の意味を、今度はちゃんと理解した。つまり、あの影どもの相手は自分がする、ってセイバーはそう言ってるんだ。だけど、今のわたしは聖杯戦士マジカルリンリンじゃなくって遠坂凛で。

「だ、だけどセイバー、わたしは……」

 どう考えたって、セイバーが大聖杯に行った方が良いに決まってる。彼女はまだ変身したままだし、わたしより魔力も残ってる。士郎を助け、イリヤスフィールを助け、アンリ=マユの誕生を妨げる為には、わたしがここで捨て駒になった方が成功率は高いはずだ。

「どうしました、凛! 早く先に行きなさい!」

 だのに、セイバーはわたしに行けという。彼女の考えが分からずに戸惑っていたわたしに、セイバーの怒声が叩きつけられた。

「分からない人ですね……思い出しなさい! 影に囚われた時、シロウは誰の名を呼びましたか!」
「――え」

『……遠坂ぁ……っ!』

 言われて、気が付いた。
 自分自身ピンチに、士郎が呼んだのは――わたしの名前だ。
 影に囚われて、無駄かも知れない抵抗を続けながら、呼んでくれたのはわたしの名前だ。
 セイバーが駆け寄ってくるのも見えていただろうに、士郎はわたしへと手を伸ばしてくれていた。

 わたしは改めてセイバーの背中を見つめた。と、肩越しにわたしを振り返る彼女の視線と目が合う。セイバーは、わたしが彼女を見ていることに気付くとにっこりと微笑んでくれた。
 ……とっても綺麗な笑顔。そして、自信に満ち満ちた笑顔。今のわたしには、とてもできないであろう表情。そんな笑顔を一瞬だけ見せて、セイバーは表情を引き締めると言い放った。

「シロウはあなたを待っているはずです! 聖杯戦士でも、魔術師でもない。遠坂凛、あなたを待っているはずです!」

 ああ、何て無様。
 こんなことも、言われなくちゃ気付かないなんて。
 だけど、気付いたからには黙っちゃおれない。わたしは、行かなくちゃいけないんだ。

「セイバー……分かった。ここを頼むわ」

 だから、セイバーにそう頼んだ。彼女は向こうを向いたまま、金の剣を構え直して頷いてくれる。

「言われずとも、任されましょう。あなたは大聖杯へ急いで下さい。アヴァロンが奴らの手に落ちたのです、聖杯起動の儀式がいつ始まるか分かりません」
「分かった……ちゃんと後から追いついてよね、セイバー」
「当然です。わたしの分も残しておいて下さい、凛」

 わざと叩いた軽口に答えてくれた。うん、そうだ。セイバーは前回の分も残ってるんだから、ちゃんと残しておかないと後で怒られるかもしれない。だけど、良いところはわたしが持っていくんだからね。
 と、セイバーの剣がまばゆく煌めいた。わたしを無事に通す為、道を切り開くには……これが一番手っ取り早い!

「約束された……勝利の剣!!」

 バシュウウウ、と光の束が一直線に影たちを貫いていく。その光を追いかけるように、わたしは走り出した。少しでも遅れたら、次々に再生する影たちに飲み込まれてしまう。そうなったら、わたしが士郎を助け出すどころじゃなくなるから。
 まっすぐ前だけを見て駆け抜けていくわたしの背後遠くで、魔を退ける聖なる鐘のような雄々しいセイバーの声が響く。どんどん復活していく影たちに向かい、一歩も退くことがないという決意を込めて。

「引け、愚かな影どもよ。我が名はセイバー……邪悪を切り裂く聖杯戦士、マジカルセイバー! 凛の恋路を邪魔する者は、わたしに斬られて無へと帰せ!」

 ありがとう、セイバー。
 そうよ、わたしの恋路を邪魔する悪は、わたしに蹴られて消えちまえ!
 イリヤスフィール、アーチャー! 聖杯起動なんかしてんじゃないわよ!
 待っていてね、士郎! わたし、すぐに行くから!


  - interlude -


 再起動。
 スーパーユーザーログイン、パスワード入力――『Angra Mainu』、OK。
 対全範囲結界発動維持用端末・固有名『衛宮士郎』を起動。
 起動チェック。
 ウィルスとおぼしきデータを確認……ザ、ザザ……でーたヲ上書キシテイマス。
 起動チェック。
 異常なし。
 OSチェック。
 異常なデータを確認……ザザザ……ピー……あっぷでーとぷろぐらむヲいんすとーるシテイマス。
 OSチェック。
 異常なし。
 ハードウェアチェック。
 魔術回路No11〜14まで断線の痕跡あり。再構築は終了。
 魔術回路No21、25、27に断線の痕跡あり。再構築は終了。
 異常なし。
 聖杯起動システム及び周辺環境チェック。
 聖杯を確認。データ検索、該当データ抽出。

「シロウ、しっかりしなさい!」

 ザザ……外部ノイズを確認。システムの一部にエラーを確認。えらーヲ修正、のいずヲ消去シマス。
 種別、ホムンクルス。固有名『イリヤスフィール=フォン=アインツベルン』。
 発動に必要な魂魄の貯蔵量チェック――50%超過。発動待機中。
 聖杯守護者を確認。データ検索……該当データ抽出。
 種別、低位英霊。固有名『エミヤシロウ』。
 肉体に『人形』を使用。特に問題なし。
 祭司を確認。データ検索、該当データ抽出。
 種別……先代聖杯戦士マジカルファーザー。固有名『言峰綺礼』。
 ――異常なし。端末ユーザーを『言峰綺礼』に固定。
 以降、該当ユーザー及び聖杯以外からの情報入力はウィルスと見なし、削除。
 端末の状態を確認。
 魔力貯蔵量、35%。アラート、魔力が不足しています。
 魔力注入パスを確認。注入元確認、大聖杯端末。固有名『マキリサクラ』。OK。
 魔力注入回路チェック。
 異常なし。
 注入魔力タイプチェック。
 黒い泥……ザザー……ザ……ピーピーピー。しすてむニ異常発生、ぷろぐらむヲ修正シマシタ。
 異常なし。
 注入魔力量チェック。
 所要量の185%をキープ。
 問題なし。
 魔力注入開始。
 魔術回路アイドリング開始。
 投影準備開始。
 投影対象、『全て遠き理想郷』。検索、該当データ抽出。
 同調開始。
 創造理念鑑定終了。
 基本骨子解明終了。
 構成材質解明終了。
 構成材質補強終了。
 製作技術解明終了。
 憑依経験共感終了。
 蓄積年月再現終了。
 全工程完了。
 祭司の命令入力まで投影を待機。
 システム、スタンバイ状態に移行。


  - interlude out -
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