マジカルリンリン18
  - interlude -


 ぼーっとしている先輩の身体を、ゆっくりと撫でさする。わたしが産まれたら一番に食べちゃう身体なんですから、今から少し味付けしておいても構いませんよね?

「やめなさい、サクラ」
『……イリヤちゃん』

 首筋を舐めようとして、感情のない声で止められた。わたしが振り返ると、そこには聖杯としての正装を纏ったイリヤちゃんが守護者の人と並んで立っている。さすがにここで聖杯のご機嫌を損ねるのは怖いから、わたしは渋々先輩から身体を離した。メインディッシュは美味しく食べるべきだと思わないんでしょうか。

「わたしは誰がわたしを発動させようと構わないけれど、その前にシロウを好きにしていいなんて言ってないわよ」
『そうですね。まぁ、それまでは我慢してあげます』

 素直に彼女の言うことを聞く。だってイリヤちゃんは聖杯であると同時に、先輩の義妹だから。先輩を引き取ったお父さんが、アインツベルンに置いてきぼりにしてきた娘なんだから。せっかくわたしと先輩が1つになるっていうのに、親族の祝福を得られないのはちょっと悲しいですもんね。

『カカカ……サクラよ、いつまで聖杯なぞの言うことに従うておるのじゃ?』

 わたしの胸の中から聞こえてきたのは、お祖父様の声。ああ、うるさいなぁ。人の楽しみの邪魔をしないでください。あなたはいつもそうなんだから。

「……マトウゾウケン!」
『カカカ。聖杯よ、お主がどう足掻こうと、既にお主の力を得る者は決定しておるのじゃ。大人しゅう、運命に身を任せるが良いわ』
「……っ」

 お祖父様の声に、イリヤちゃんはぐっと唇を噛む。うん、わたしもこの蟲は嫌い。だって、むかーしむかしからうじうじと生き延びて、死にたくなくて、自分が死にたくないから回りのみんなを殺して、その生命をすすって生き延びてきてるんだもの。わたしのことも、神様にすがりついて自分が生きる為の餌くらいにしか思っていないんだろう。
 ――このわたしを、餌ですって。おかしいったら。

『サクラよ。さっさと鞘を起動させ、聖杯の力を手にしてしまえ。お前はそのために、この儂自らが作り上げた蟲なのじゃからな』

 ああ、勝手なこと言ってる。誰が誰を作った、ですって? この蟲、脳味噌が小さいから訳の分からないことを言ってるんだわ。だいたい、聖杯の力を手にしてこの世に生まれて、先輩を食べるのはこのわたしなのに。

『さぁ、サクラよ! 何を躊躇しておるか、さっさと鞘を――――』
『うるさいです。お祖父様』

 あんまりうるさいから、わたしは自分の胸にずぶりと手を突っ込んだ。どうせ産まれる前の端末の身体だし、泥で形成してあるから別に痛くも何ともないし。そうして指先に引っかかった小さな肉塊を、摘んで引きずり出した。なんだ、こんなに簡単にできるんなら、最初からこうすれば良かったな。

『さ、ささささくら、こ、これはどういうことじゃ?』
『だから、うるさいんです。わたしも、先輩も、イリヤちゃんも、守護者さんも、祭司さんも。だぁれもあなたの言うことなんか聞きませんよ?』

 くすくす、と笑いながら、蟲を祭司さんの足元に放り投げる。祭司さんもわたしと一緒で、心臓は泥に入れ替わっている。だから、体内に入られたって問題はない。……先輩を奪われるわけにもいかないし。

「私が殺す。私が生かす。私が傷つけ私が癒す。我が手を逃れうる者は1人もいない。我が目の届かぬ者は1人もいない」

 祭司さんはふん、と鼻で笑ってから、指先で蟲を摘み上げた。よく見るとその蟲はわたしから泥を持っていったみたいで、さっきは指先で摘めるサイズだったのにいつの間にか手で握りしめなくちゃ落っこちてしまう大きさにふくれあがっている。だけど、祭司さんは面白く無さそうな顔をして、多分呪文の類らしい詠唱を続ける。

「打ち砕かれよ。敗れた者、老いた者を私が招く。私に委ね、私に学び、私に従え。休息を。唄を忘れず、祈りを忘れず、私を忘れず、私は軽く、あらゆる重みを忘れさせる」
『わ、儂を滅ぼす気か……! 儂はアンリ=マユのグランドマスターじゃぞ!』
『下克上。これも、悪の組織には無くてはならないものですよね? お祖父様』

 泥で自分の肉体を作り直そうとしている無様なお祖父様。だけど、その泥は蟲には馴染まないのか、作り出す端からぼろぼろと崩れ落ちていく。……いいえ、違う。あの身体が作りきれないのは、祭司さんの詠唱のせいだ。彼は、わたしと同じでお祖父様を消したいんだ。ああ、助かるなぁ。

「装うなかれ。許しには報復を、信頼には裏切りを、希望には絶望を、光あるものには闇を、生あるものには暗い死を」

 ほぅら。お祖父様の身体はどんどん泥に戻って消えていく。蟲になって何年生きてきたのか知りませんけど、もうそろそろ古い世代は消えて頂かないといけませんよね。世代交代って必要なんですよ。

「休息は私の手に。貴方の罪に油を注ぎ印を記そう。永遠の命は、死の中でこそ与えられる。許しはここに。受肉した私が誓う」
『お、のれ……おのれ、おのれ……ここまで、来て……』

 もう、お祖父様だったものはぼろぼろの泥の塊みたいになっている。その中から慌てて逃げ出そうとした蟲が、出ることも出来ずにじたばたと醜くもがいている。ああいやだ、若くて生きの良い身体だからって先輩に近づかないで下さい。意地汚いお祖父様。

「滅びろ、古き蟲よ――この魂に憐れみを」

 ぐちゅり。
 祭司さん……マジカルファーザーの最後の詠唱と共に、かつて間桐臓硯と名乗っていた蟲は彼の指先に潰されて、ただの肉塊になった。ぴちゃっと弾け飛んだ液体のほんのひとしずくが、先輩の靴に飛ぶ。

「……」

 ああ先輩、靴が汚れてしまいました。でも構いませんよね? もうすぐ靴も、服も、身体も無くなっちゃうんですから。わたしにぺろりと食べられて。

「……もう間もなく、魂は規定の量に達するはずだ。そうしたら、儀式を始めよう」

 服の裾で手を拭った祭司さんが、わたしと先輩をちらりと横目で見ながらそう言った。そう言えば、ブラックセイバーさんもギルガメッシュさんも反応が消えている。多分、聖杯戦士のみんなに倒されちゃったんでしょう。もう少し粘ってくれるかと思ったのにな。

『あ、はい。やっとわたし、産まれることが出来るんですね』

 でも、そんなことはどうでも良かった。やっとわたしは……アンリ=マユは、この世界に生まれ出ることが出来る。全ての人々から望まれた、絶対悪として。

『先輩、その時は一番に食べてあげますね。正義の味方は、絶対悪の生け贄になるんです。うふふ……』

 何も見えていない、何も聞こえていない先輩の耳元に、わたしはそっと囁いた。


  - interlude out -


「はぁ、はぁ……あーうっとおしいっ!」

 アゾットで影たちを切り払う。抵抗する者は容赦なく切り裂いて踏みつぶして突き進んでいく、それがわたしのやり方。

「……だけど、いくら何でも量が多すぎるっつーのっ!」

 さっきからわたし、一体どれだけの影をぶっ倒してきたんだっけ。100くらいまでは覚えてたんだけど、もう忘れちゃった。いい加減魔力もガス欠に近い状態だし、体力はもう尽きてるに等しい。

「……ざけんな」

 また1匹、降り掛かってきた。わたしはアゾットをまっすぐに突き出して、その胴体のど真ん中をぶち抜く。だけど、それでわたしの膝ががくんと落ちた。うわ、やっばー……。
 周囲を、ぞろぞろと実体のない影どもが取り囲む。何とか立ち上がりたいところだけど、だめだ。足ががくがくして立てない。出てくる前にちゃんと士郎のご飯食べてきたのに、もう切れちゃった。

「こんな……こんなところで、座り込んでる場合じゃないのに……っ!」

 わたしを送り出してくれたセイバーのためにも。
 わたしをきっと待っている士郎のためにも。
 わたしはこんなところでへたってる場合じゃないんだ。立ち上がって、一歩でも前に進まないと、駄目なんだ。

「……駄目なんだからっ!」

 無理矢理に立ち上がろうとして、無様にひっくり返ってしまった。うわ、顔打った、痛い……って、こんなの痛くない! 士郎が何されてるか分からないのに、この位で痛いなんて言ってられるかっ!

「……って、きゃっ!」

 起き上がろうとしたわたしの背中に、ずしっと重量が掛かった。重いってばこのやろ……と肩越しに振り返って、わたしは愕然としてしまった。だって、わたしの背中に乗っているのは黒い影だったから。ああ、ボディを構成しているひらひらの布がわたしの身体に絡みついてってこらー! 胸だの太股だの、触っていいのは士郎だけだーっ!

「はなしぇうぶっ!? むご、むぐ……!」

 ちょっと、鼻や口まで覆ってしまったら苦しいじゃないのっ! 士郎のところまで連れて行ってくれればいいかなとちょっとだけ思ったけれど、こいつらにそんな気は無さそうだ。そりゃまぁ、今のわたしは聖杯戦士ですらない、ただの魔力切れの魔術師なんだもの……無駄なことはせずにここで殺して、アンリ=マユ降臨のための生け贄にしちゃうだろう。

「んー、んー!!」

 だ、だけど苦しい……ちくしょう、握りしめたままのアゾットを振り回す力すらもうない……士郎……
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