マジカルリンリン19
 感情的になるセイバーを、彼は視線と言葉だけで抑え込んだ。よく聞くと分かるのだが、ランサー自身感情を意図的に抑え込んでいる。……彼とて、士郎のことは嫌いではないのだ。

「く……」

 そこに気付いたのか、セイバーも渋々矛を収める。そもそも、既に事態の部外者である自分たちがここで何を言ったところで、解決に繋がるわけではないのだから。

「……そうね。けれどもし、自我や自由意思を封じられているだけならば、まだ本来の彼を取り戻せる余地はあるわ。それに期待するしかない」

 あくまで冷静なキャスターの言葉が、今の私たちにとっては一番の鎮静剤だ。その言葉を聞いたサクラが、私の腕にぎゅっとすがりついてくる。私はサクラの気持ちを思って、そっとその肩を抱きしめた。そう、私たちには今、できる術がない。できることはただ、リンがコトミネを討ち滅ぼし、士郎を奪還することを信じるだけ。

「それもこれも……凛嬢ちゃんが、言峰の野郎をぶっ飛ばしてからかな……ああ、いや」

 祭壇をじっと見つめていたランサーが、にぃと眼を細めた。こうやって見るとこの男、犬の耳よりは猫科の耳の方が似合うのではないだろうか。獲物を狙う肉食獣の眼……単独で獲物を狙うことが多いのは、犬の仲間よりも猫の仲間だろう。豹とか、チーターとか。

「……もう1人、援軍がいたな」

 その眼に何を捉えたのか、ランサーは満足げな笑みを浮かべた。さて、私もしばらく観戦に集中するか。


  - interlude out -


  - interlude -


 ……ああ、頭が重い。
 全身、まるで泥か何かに浸かってるみたいに凄く重くて、指1本動かすのもきつくて仕方がない。
 このまま、もう一度ぐっすりと眠ってしまいたい。

『だめよ、シロウ。目を覚ましなさい……あ、喋っちゃダメよ。ばれちゃうから』

 ……え?
 俺の頭の中に、誰かが話しかけてくる。
 誰だろう……聞いたことある声、なんだけどな……。

『シロウ、わたしよ。さっきみたいな、機械のシロウじゃないから……わたしのこと、分かるよね? お兄ちゃん』

 お兄ちゃん。
 そう呼ばれたことは、さほど多くはない。
 その中で、一番耳に馴染んだ、この声は。

 ――イリヤ?

『うん!』

 名前を呼んだ瞬間、彼女……切嗣の娘、俺の妹であるイリヤの声が弾んだ調子になるのが分かった。そうだ。この声はイリヤの声だ。

『よかった、介入成功した!』

 ……介入?
 その言葉を聞いた瞬間、俺の頭の中を様々な風景が駆けめぐった。恐らくは、イリヤ本人の眼が確認したその風景。
 黒い服を纏った桜……の姿を取った誰かの腕に抱かれて、意識を失っている俺。
 ぼんやりと虚ろな表情で、『桜』と言峰の命ずるままにアヴァロンの起動準備を進めている俺。
 『桜』の胸の中からえぐり出され、言峰に潰された……恐らくは臓硯であっただろう、蟲。
 俺を見つけて、私服のまま坂を駆け下りてくる遠坂。

 ……そうだ。
 俺は遠坂とセイバーと一緒に、ギルガメッシュを倒したんだ。
 それで気が抜けた隙を突かれて、黒い布に絡め取られて。
 走ってくる遠坂に向けて必死に手を伸ばしたけれど、その手は届くことがなく――

 ――そこからの記憶がない。
 イリヤの見せてくれた光景は、俺の抜けている記憶を補完するものだった。
 俺はさらわれて、操り人形にされて、もう少しでアンリ=マユのために聖杯を起動させるところだったんだ。
 イリヤを、俺の妹を、親父の本当の娘を、黒い胎児を世界に生み出す為の力として捧げてしまうところだったんだ。
 ごめん、イリヤ。

『ううん、いいんだよ。それだけ分かるのなら、もう大丈夫だね』

 ああ、もう大丈夫だ。
 それにしても……何だか、外から魔力が流れ込んできてるみたいだけど……う、この魔力……気持ち悪い……。

『ごめんね。それ、黒いサクラからの魔力注入パスなんだ。それまで切っちゃうと、シロウが正気に戻ったことがばれちゃうから……』

 そっか。
 イリヤ、俺を助けてくれたんだよな。
 ごめん。世話ばっかりかける兄貴で……でも、ありがとう。助けてくれて。

『ううん。わたしがシロウを助けたかっただけなの。シロウも、助けたい人がいるんでしょ?』

 ああ。
 せっかく俺を助けに来てくれたのに、遠坂は聖杯戦士じゃなくって。
 そのせいか、変身した言峰に押されてる。
 魔力が足りないのなら、俺があれを返さないと。

『……あのね、シロウ。シロウの身体のこと、なんだけど……』

 分かってるよ、イリヤ。
 黒い桜から無理矢理魔力を流し込まれてる俺の身体。
 俺の全身は、元々人間の身体には馴染まない、黒い魔力で汚染されつつある今の状態で、これ以上魔術回路に負担を掛けたら……
 ……だけど、それでも俺は遠坂を守りたい。
 俺に惚れてる、って言ってくれたあいつを。
 聖杯戦士の力を失っても、俺を助けに来てくれたあいつを。

 ――俺も、あいつが好きだから。

『うん、分かってる。シロウはガンコモノだから、わたしが何を言っても自分の思う通りにやっちゃうんだね』

 そうだな。俺は頑固者だな。

『だけど、そんなところも含めて、わたしもシロウのこと、好きだよ』

 ……ありがとう。
 それじゃ、俺、ちょっと行ってくるから。

『うん。頑張ってね、シロウ』

 イリヤが小さく手を振ってくれる。その横でじっと俺を見つめるアーチャーににやっと笑ってみせてから、俺はゆっくりと魔術回路を回し始めた。


  - interlude out -


「はぁ、はぁ……」

 あー、ダメだ。さっきから呼吸が乱れまくってる。はっきり言って、立っていられるのが不思議なくらい全身から力が抜けていってる。一方綺礼はというと、息なんかまるで乱れてなくて。わたしとの戦いが、まるで赤ちゃんとのじゃれ合いみたいな感じ。
 参ったなぁ。正直、この勝負はわたしにゃ勝ち目がほとんどないものなのよね。せいぜい頑張らせて貰ったけど……でも、ダメだ。心が……折れそう。

「ハッ!」

 バキ、といやーな音がして、わたしは士郎の足元に投げ出された。あー、アバラ何本か逝っちゃったかなぁ、これは。

「……士郎」

 やば、立ち上がれない。限界が来ちゃったのかな? それが少し悲しくて、わたしは視界に入った靴からずーっと視線を上に上げた。そこにぼうっと立っている士郎は……やっぱり、わたしを見てなどいなかった。ぼんやりと前方に視線を彷徨わせているけれど、その眼には何も映ってない。ごめんね、士郎。あの時、わたしがもっと側にいれば……こんなことにはならなかったのに。

「……ごめん、士郎」

 必死で上半身を起こしながら、士郎の顔へと手を伸ばす。そんなに背の高くない彼だけど、この状態じゃとても顔を触ることはできない。ちくしょう、一番大事な奴が目の前にいるのに、わたしはそいつに何もしてやれない……。

「そろそろ観念したか? 凛」

 綺礼の感情のない言葉が、わたしの耳に飛び込んでくる。わたしは慌てて、士郎の前に自分の身体を持っていった。聖杯発動の儀式をやるまで、士郎に危害は加えないだろうけど……でもわたしは、綺礼を士郎に近づけたくない。今あいつの身体は、あの黒い桜が変化したもので覆われている。あれを士郎に近づけたら……もし士郎の心が無事だったとしても、襲いかかる悪意で潰されてしまうから。

「だ、誰が観念したってのよ……言ったでしょ、遠坂の一族は諦めが悪いって」
「そうか。確かに、マジカルメイガスも最後の最後まで私を説き伏せようとしていたな……ふむ、よくよく無駄が好きと見える」

 わたしのハッタリをつまらなそうに返して、綺礼は服の中から何かを取りだした。剣の柄、と見えたそれは、綺礼の指の間に挟まれると同時にその先に長い刃を形成する。その形状に、わたしは見覚えがあった。多分、父さんの遺した資料の中にあったはずだ。

「黒鍵……!」
「知っていたか。まあいい、どうせ最後の生け贄ならば、華々しく燃え尽きて散るが良い」

 聖堂教会の代行者が使ってる投擲用の剣。その刃に属性を付加することも出来るってのは資料で知ってたけど……そうか、わたしを火の属性を付加したあれで焼き殺すつもりか。あれはかなり意識がはっきりしたまま焼けていくらしいからなぁ、人の苦しみが自分の喜びらしい綺礼には楽しくて仕方ないだろう。

「では、さらばだ凛」

 指の間に挟まれた黒鍵は3本。それを綺礼は、こともなげにわたし狙いで投擲してよこす。鋭い切っ先がわたしに向けてどんどん迫ってきて……あの刃が当たった瞬間、わたしの身体は燃え上がるんだ。いけない、士郎から離れなくちゃ。士郎が燃えちゃう……
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