マジカルリンリン20
「だったらどうするの? 今なら、何でも願いが叶うのよ。人間には出来ないことでも、何でも」

 だから、わたしはそう言った。シロウはリンに、わたしが持つ聖杯の力をプレゼントしたかった。わたしは、シロウの思いをちゃんと叶えたい。リンに彼女自身の願いを叶えて欲しいっていう、その思いを。

「――何でも?」
「そう。何でも」

 リンが涙を拭きもせずに聞き返してきた言葉を肯定する。そう、今ならあなたの願い、何でも叶えてあげる。……わたしに、拒否権はないもの。
 わたしは聖杯の器。龍脈の力を受け、溜め込み、定められた祭司の行う儀式の元にその力を開放する、ただの器。だから、祭司の言葉は絶対。わたしはただ、その言葉に従い魔力を操るだけ。

「……それなら、話は早いわ。今、ここで、わたしが叶えて欲しい願いなんて、1つしかない」

 両手の拳を握りしめ、ともすればふらつきそうになる脚を踏ん張って、リンはわたしをまっすぐ見つめる。涙のあとは乾き始めて、結構綺麗な顔が台無しだ。服はあちこち切り裂かれ、身体のそこかしこに切り傷やら打撲傷やらが見られる。ずたぼろになりながらやっとの事でトオサカ6代の念願を達成した現当主は、何の迷いもなくきっぱりと言ってのけた。

「士郎を救って。こいつはこんなところで、こんな終わり方をしていい奴じゃない」

 うん。
 シロウ、ほんとにいい人に想って貰えて良かったね。
 いい人を好きになったね。
 お姉ちゃん、とっても嬉しい。

「そんな事で良いの? 根源に到達するとか、そんな願いだって今なら叶うのよ」
「ばっかじゃない? 根源になら、士郎と一緒に行ってやるわよ。自分自身の力でね」

 わたしが問いただすように言うと、自分の胸に手を当てながらこれまたきっぱりとリンは言ってくれた。うん、思いっきりマジだ。本気でリンは、シロウを助けて欲しいって思ってくれている。

「……ありがとう、リン」

 一言お礼の台詞を口にする。「へ?」とぽかんとなったリンに、わたしはにっこり微笑んでみせる。

「わたしは聖杯の器だから、聖杯を手にする資格を得た者の願いを叶えてあげられる。だけど……自分自身にその資格はないの。だから、わたし自身のお願いは叶えられない」

 だから、リンが「士郎を助けて欲しい」って願ってくれることを望んでいた。そうでなければわたしは、目の前でボロボロになって死んでいく可愛い弟を助けてあげることもできなかった。

「シロウの意識をアンリ=マユの支配から解放するのは、鞘の作動を正常に戻す行為だったからわたしにもできたけど。でも、それ以上わたしは、どうすることもできなかった……だから、ありがとうリン。シロウを助けることを望んでくれて」
「イリヤスフィール、あんた……」

 リンの前を通り過ぎ、わたしは無様なオブジェの前に立った。ざくざくと突き出した剣の中、僅かに見える金の目が涙を流している。赤っぽい茶色の髪の毛が、血に濡れてほんとの赤毛になってしまっている。……大丈夫。まだ『シロウ』は、ここにいる。微かにだけど、心臓がとくん、とくんと鳴っている。これもまた、アヴァロンの加護なんだろうか?

「……リンも、シロウも頑張ったから、ご褒美をあげる」

 これならまだ救ってあげられる。わたしがアインツベルンに産まれた、ホムンクルスで良かった。わたしをほったらかしにしたキリツグを恨んだこともあったけど、今は感謝してる。だって……こんな身体にされたからこそ、今わたしはシロウを助けられるんだから。

「この衣は天の衣。我がアインツベルンより失われた第三魔法を再現し、ここに顕すための正装」
「第三魔法……ですって!?」

 ふふ、リン、驚いてる。あなたがさっきまで振るっていたゼルレッチだって、いわば魔法のおこぼれじゃない。だけど……トオサカの系譜がキシュア=ゼルレッチ=シュバインオーグの第二魔法を受け継ぐ系譜ならば、我がアインツベルンは第三魔法を擁する系譜。ただ、操れる者がいなかっただけのこと。

「そう。さ、ちゃんと見ていなさい」

 わたしは全身に魔力を循環させ、手を伸ばす。目の前にある剣の山の中から、大切なものを救い出す為に。邪魔だから、あなたたちはどきなさい。わたしは……わたしたちは、シロウが欲しいのよ。


  - interlude out -


  - interlude -


 私は足を一歩踏み出した。かつん、と響いた足音に、凛がこちらを振り返る。

「……アーチャー」

 我が名を呼ぶ彼女に小さく頷いて、私は自らが守るべき小さな姉の前に立った。元から純白なイリヤスフィールの髪と、魔術の過剰行使やそれ以外の原因で白化した私の髪。……血は繋がらなくとも、同じ父を持つ者同士ということだろうか。

「アーチャー?」
「依り代ならば、ここにある……姉さん」

 これが、最後の私の役目。
 本来ならば己の魔力で実体化できる英霊が、何故わざわざ『人形』に宿っていたのか。
 この『人形』に私を宿らせた者は、この結果を予測していたとでもいうのだろうか。

 いや、きっと彼のことだ。
 わりと単純に、『男の子は女の子を守るものだよ』とか何とか言ってそうだけれど。

 そうなのだろう?
 アインツベルンの魔術師として、私を喚んだ――我が父よ。

「……いいの?」
「何を言う。私の役目はイリヤスフィール、君の守護だ。これもまた、その役目の一環でしかない」

 私を見上げてくる彼女に、そう言って聞かせる。あの父親の血を受け継いだ彼女のことだ、大方自らを提供するつもりだったのだろうけれど。

「そもそも、君は既に聖杯としての役割を果たした。ならば守護は不要……私は本来あるべきところへ還らねばならん」
「……」

 ややあって、しょうがないわね、と口の中で呟いてイリヤスフィールは頷いてくれた。そう、私は不要となるモノのリサイクルを提案しただけなのだから、拒否する意味はない。
 私は彼女が差し出すモノを抱きしめる。ああ、温かいな……ヒトというモノがこれほど温かいことを、私はいつ忘れてしまったのだろう。……いや、そんな思いに意味はない。今、覚えておけばいい。

「……アーチャー……」

 どこか茫洋とした声で、凛が私を呼ぶ。私はゆっくりと振り返り、彼女を見つめた。……あの頃はほとんど身長が変わらず視線はほとんどまっすぐだったけれど、今は彼女の頭は私の胸までしかなくて私が見下ろし、彼女が見上げる形になる。

「……凛。私を頼む。見ての通り、本当に頼りない奴だからな――君が支えてやってくれ」
「……! う、うん、分かってる!」

 腕の中のモノを凛に手渡しながら、頼みを口にする。凛は一瞬目を瞬かせたが、すぐに言葉の意味を理解してくれて大きく頷いてくれた。
 ああ、本当に君を好きで良かった。この思いは『座』に還れば消えてなくなってしまうのかもしれないけれど、それでも今この瞬間、私は遠坂凛と言う名の女性を好きになったことを心の底から喜ばしいと思った。せめて、この思いの欠片だけでも『私』に届けばいい、本気でそう思えた。

「わたし、頑張るから……だから」
「……ああ。大丈夫だよ、遠坂」

 彼女と会話を交わせるのは、これが最後。だから、このひとときだけは――私という『英霊エミヤの分身』がこの世界から消滅する寸前の、この時だけは私は『アーチャー』ではなく、『エミヤシロウ』に戻る。

「オレも、これから頑張っていくから」

 この世界で得た記憶、思い、そんなものは全て『記録』としてしか残らない。けれど、きっとオレも俺も頑張っていけるから……だから。

「元気で。じゃあな」

 そう言って、オレは大聖杯のフタを、ばたんと閉めた。


  - interlude out -
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