エピローグ
 で。
 怒濤のように連中が過ぎ去った会議場の中央、ぽかーんと立ち尽くしてるわたしに爺さんはにやり、と笑いやがりました。

「しかし、お前さんの国では『鳶が鷹を生む』と言うたかの? トオサカはワシが教えた中では最も芽がなかったんじゃがのぅ、僅か6代でたどり着くとは」

 とのたもうた大師父に、わたしは思わず顔を引きつらせた。

「な、何のことでしょうか、大師父」

 いや、こんなどもり方したらバレバレかもしれないけど、でもとにかくとぼけるわたし。
 だって……バレたら殺される、って思ったんだ。目の前にいるこのお人は魔法使いで、魔法使いは自分が使える魔法を人には漏らさなくて――自身の奇跡に近づいた者は、それが何であれ容赦なく排斥する。わたしはそう、本能で悟っていたから。
 そう思っていたんだけど。
 ぽん、と爺さんの節くれ立った大きな手が、わたしの頭に置かれた。それからなでなでなで。

「いや、確かにワシもヒント出したがの。よくたどり着いた、えらいえらい。やはり、めんこいおなごは良いのぅ」
「あ、あはははは……」

 あのー大師父、わたしはどう反応したら良いんでしょうか。とりあえず笑ってみるしかないんですけど、って思ってたら、爺さんはわたしの顔を覗き込んでぱちんとウィンクしてみせた。もう、お茶目なんだからこの爺さん。

「よいか。どうせなんじゃから、協会を存分に利用してやれ。ここは窮屈じゃが、道具だけは潤沢に揃っておるからの」

 ――さっすが大師父。あちこちの並行世界を旅する爺さんは、それだけに懐が広かった。ああ、安心した。

 ……そう。
 わたしは、爺さんが見せてくれたマジカルステッキ☆ゼルレッチの構造から、その大元になった宝石剣ゼルレッチの構造をほぼ解析してしまってた。設計図も理論も、綺礼相手にぶん回しているうちに把握してしまったので……材料と時間、というか莫大な資金と時間さえあれば爺さんの魔法の真似事は出来てしまうのだ。ただ資金がね……ええ、とんでもなく莫大な金額がかかるのよ……1年2年どころか、10年20年単位でもどうにかなるかってところ。ほほほ、貧乏なんて嫌いだー。
 とまぁ、話は微妙に逸れたがわたしは爺さんのおかげで無罪放免、となった。ついでに時計塔へのフリーパスも貰ってあるので、学校を卒業したらすぐにロンドンに行くことになっている。ちなみに弟子は1人まで可。魔術師たる者、弟子の1人もいなくては格好が付かないのだ。


「そうですか。それであの……姉さん。先輩の……衛宮のおうちのことは……」

 桜が恐る恐るわたしの顔を覗き込む。うん、一番気になっていたことはそれだろう。

「わたしがあいつのこと、報告書に書くと思う? 綺礼の報告書にも名前なんてなかったわ……だから、あいつが鞘を持ってたってことを知ってるのはわたしたちだけよ」
「……」

 えーっと、また空気が重くなってしまった。もう、こう言う時ものすごく困るのだ、あの朴念仁の話題は。  大体あいつが悪いんだ。わたしたちの前にいきなり現れて、重要人物になって、わたしの……その、一番大事な人になって、それで――

「悪い、遅くなった。花見弁当、お待たせー」

 ――こうやっていつも通り、でっかい重箱包みを両手に提げてのほほんと出てくるんだから。

「よぅ、お待たせ。あの店のおやっさん、良いモン出してくれたぜ〜」

 一緒に現れたランサーは、肩と脇に酒瓶入りのケースを抱えてきている。へらへら笑って、息の一つも切れてない。うわ、結構力持ちなんだ。

「ふぅ、ふぅ……あのなぁライダー! お前、僕より力あるんだから少しは手伝ってくれたっていいだろう!」

 一方、この馬鹿兄貴はケース1つだけで息が上がったり。うん、まぁこの山道を持って上がってきたみたいだから、ここまで落としてきてないらしいだけで大したもんだけど。それに、まだ頭に包帯が巻かれたままなのよね。ライダーの流星号に蹴っ飛ばされて遠くに落っこちて、その時の打ち所が良かったらしくて何やら性格が改善した、って聞いたんだけれど。見たところどこも変わってないような気がするなぁ。

「そういう力仕事は殿方の担当でしょう? シンジ」

 その慎二に名指しされたライダーは、しれっとした顔で返事。セラからお茶を淹れて貰って、のんびりとその香りを楽しんでいる。そりゃまぁ、あいつが彼女にした仕打ちを考えれば分からなくもないけれど。

「まぁまぁ慎二、落ち着けってば。ライダー、悪いけど少し手伝ってやってくれないかな?」
「はい、士郎がそう仰るのでしたら」
「あ、この! 差別だ差別! 僕と衛宮と差別するなんて酷いぞ!」
「差別ではありません。区別です」

 士郎、慎二、ライダーのどこかピントのずれてるやりとりが何だか微笑ましくて、わたしはぷっと吹き出した。ああいけない、誰かに見られてないでしょうね? こら桜、くすくす笑うな。わたしだって吹き出すことくらいあるってば。

「お、凛嬢ちゃん。戻ってたのか……ご苦労さん」

 と、ケースを降ろして肩をこきこきさせながらランサーがやってきた。手に持ってるよく冷えた烏龍茶のペットボトルを、ぽんとわたしに手渡してくれる。

「ただいま。そっちこそ、桜や士郎のこと見てくれてありがとうね」
「ん、まぁな。大したこっちゃねぇし」

 本当に何でもないことのように言ってのけたランサー。ほんとはセタンタって名前なんだけど、もうこっちの呼び方で慣れちゃったからわたしはそう呼んでる。

「お、悪い。坊主取ってたな」

 こんな言い方をするのもこいつくらいだ。まるで悪気のない子供のような発言の仕方だから、どうも怒りにくい。……ま、良い奴だからってのもあるんだけどね。

「ああ、気にしないで。あいつはいつもそうだから」
「そうですねー。先輩、いつも人の面倒見てますから」

 わたしと桜がそう答えると、ランサーは目を細めて自分の髪をばりばり掻いた。ちらっと後方に視線をやって、それから彼の手がわたしたちの頭をぽん、ぽんと軽く叩く。

「自分が面倒見られる立場だっつーのにな。ちょっと待て、呼んでくるから」
「あ、わたし、兄さんのお手伝いしてきますね」

 そう言うが早いか、くるりと身を翻して走り去っていくランサー。それを追いかけるように、桜も走っていってしまった。一瞬ぽかんと見送ってしまったわたしは、とりあえず貰ったペットボトルを開ける。うん、山道を上がってきてちょっぴり喉が渇いてるから、美味しい。

「遠坂!」

 一口飲んだところで名前を呼ばれて顔を上げる。そしたら、お弁当包みを1つ胸の前に抱えた士郎がそこに立っていた。

「士郎。ただいま」

 目一杯の笑顔を頑張って浮かべて、挨拶する。そうしたら士郎も、満面の笑みをその顔に浮かべた。で、一言。

「お帰り。会いたかった」

 ――。
 ええい、この赤毛の朴念仁は、何でふとした時にそんな殺し文句を吐きやがりますかー!


 さて、もう1つの顛末。
 何で士郎が、ここにこうして平気な顔しているのか、ってこと。
 まぁ、言ってしまえばこれはイリヤスフィールの魔法が成し遂げた奇跡、ということになる。
 士郎の身体は、あの時に壊れてしまっていた。そりゃそうだ、無理矢理アンリ=マユに繋がれて、泥に汚染された魔力を流し込まれて、魔術回路を暴走させられて。

 内側から破壊された士郎の肉体を再生させる、なんてことは不可能だった。だって、わたしに聖杯の力を与えるためにアヴァロンを展開した瞬間、あの肉体は『死んだ』から。死んだものの復活なんてのは魔法にだって存在しないのだから。
 けれど、士郎の魂はまだ死んでいなかった。イリヤスフィールはその士郎の魂を、第三魔法――彼女曰く『魂の物質化』によって死んだ身体から救い出したのだ。正確に言うと、士郎の魂をその身体に埋め込まれていたアヴァロンごと引きずり出したんである。なかなかの力業だ。

 記憶とか、脳の働きとか、魔術回路とか……そういったものは、実は肉体に宿ってるんじゃなくて魂の方に宿ってる。それらを全部内包した魂は第三魔法で具現化することにより、人間としての機能を備えた器に宿してやればちゃんと『魂の持つ形』に作り直されてくれるのである。
 器は、アーチャーが使っていた『人形』をそのまま譲り受けた。何しろ、元々入っていた魂が『エミヤシロウ』のものである。『衛宮士郎』の魂を入れたそれは、すんなりその姿に作り直された。……この手の人形って、本当はそれこそ目の飛び出すような金額なんだけど、イリヤスフィールが無償提供を申し出てくれた。ま、条件が付いたのだけど。

「シロウの面倒は、ちゃんとリンが見るのよ。これから一生ね」

 という条件である。そんな、こっちから頭下げてでも土下座してでもお願いしたかった条件なんだから、わたしは二つ返事で受け入れた。
 人形の身体、っていうと誤解があるかもしれないから言っておくけれど、今の士郎は立派に『衛宮士郎』という1人の人間だ。包丁で指を切れば血が出るし、風邪も引く。病院で手術もできるし、殺されればあの世行き。
 魂というものは、肉体を与えればその肉体を自分の姿に作り替える。けれどその代わり、肉体に固定されてしまう。……まぁ、要は今まで通りの士郎なわけだ。美味しいご飯を作ってくれて、朴念仁で、自分のことより人のことを先に考えてしまう、衛宮士郎。
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